姫野カオルコ 禁欲のススメ 目 次 あ 甘いもの い 生き血したたるステーキ う ウナギ え エスプレッソ お オレンジ か かまぼこ き きぬかつぎ く クセのない納豆 け けったいなパン こ コノワタ さ 酒 し 商法と食事 す すいか せ セロリをかじりながら そ ソーセージ た タマゴ ち チョコレート つ 慎しむべき料理 て 天 丼 と 豆 乳 な ナスビ に ニンジン ぬ ヌカミソ ね ね ぎ の のりたま は ハ モ ひ ビール ふ ブレッド&ティー へ へんなおばさんのブレッド&ティー ほ ぽるなれふ ま マカロニ み ミョウガ む 無農薬 め 明太子 も もう一度マカロニ や 焼き肉 ゆ 雪見だいふく よ 寄せ鍋 ら ライム り リボンシトロン る ルミナール れ レーコ ろ 老舗菓子 わ わたあめの日 ん 文庫版あとがき あ  甘いもの  サクラコさーん、と、私のことを呼ぶ人がたまにいる。ちがうでしょ、それは美人作家のほう。私はカオルコ。でもね、先様は美人作家と呼ばれていらっしゃるけど、私なんか「お姫さま」と呼ばれているんだから。理由は、私が美人なだけでなく高貴な雰囲気を兼ね備えているからではなくて、ただたんにヒメノだからでした。ちなみに、♪あーっだっから今夜だけはー君を抱いていたいー♪ という歌を歌っていた姫野君とは親戚でもなんでもありませんが、幼稚園のときにはチューリップ組にいました。チューリップといえばハナですが、渋谷《しぶや》駅に充満している甘い香りに私の鼻はガマンならない。  東横《とうよこ》線の改札あたりから発生してくるあの甘い香り。発生源は手作りクッキーの店。「ああ、いい匂《にお》い〜」「おいしそォ」などと通行人は口々に言い微笑《ほほえ》んでいるが、とんでもない。私はあの匂いを嗅《か》ぐと吐きそうになる。  クッキー屋の名誉のためにお断りしよう。決してその店のクッキーがまずいという意味ではない。私が甘いものが嫌いだという意味だ。  嫌いなのである。とにかく私は甘いものが嫌いなのだ。おはぎ、栗きんとん、パフェ、クレープ、アイスクリーム等々全部ダメ。石焼いもでさえダメである。とりわけ、洋菓子系のミルク+バター+シュガーの三位一体攻撃には太刀打ちできない。TVの画面で見ただけでも胸がムカムカしてくる。  甘いものが嫌いなら食べなきゃいい、と読者は簡単に思われるかもしれない。  だが、女で甘いものが嫌いだというのは、これは、なかなか面倒なことなのである。なにせ世間の常識では「女は甘党」ということに、なぜかしらんが、なっている。疑う人は稀《まれ》である。  中学生のとき、クラス数人の女子で日曜日に担任教師の手伝いをした。作業のあと先生は何とお盆にクリームパフェを載せて持って来たではないか。見るなりゲッ! となる私。「ごほうびに喫茶店からとったわ」とやさしい顔をする先生。「きゃーラッキー」と歓声をあげる私以外の女生徒。そんなシーンで「嫌いなんです」とどうして告白できようか。しかたなく私はスプーンでパフェをひとすくい口に入れ、水で呑《の》み込み、またスプーンでひとすくいし、水で呑み込む。額に冷や汗さえにじませてパフェを食べた。  同種のシーンは一例にとどまらず、友人のお母さんの前で、仕事で世話になったカメラマンの前で、偉い有名人の前で、私はいつも甘いものを涙をこらえて呑み込んできた。  むろん、選択の余地がある場合には「甘いものが嫌い」だと宣言する。ところが、この宣言には並々ならぬ勇気を要する。なぜなら、甘いものが嫌いな女というのは可愛《かわい》くないという印象をどこか与えるらしいのだ。それは決して明確な印象ではないのだけれども、潜在意識に与えるらしいのだ。 「ナマコってダメなの、私」と女が言うと、そりゃなかには、「ザケんじゃねえよ」とせせら笑う 志《こころざし》 の高い男性もいるにはいるんだろうけど、やっぱり多数決としてはそんなことを言う女は男からすると、可愛いんだろう、と思う。  しかし、男に可愛いと思われたくて「甘いものは嫌い」宣言をしないでいるというのは、もっと卑怯《ひきよう》な行為に思えるし、また可愛いことをしても私には似合わないとも同時に思う。  私の体は大きい。大きい図体して「甘いものは嫌い」と言うと「えーっ、甘いものが嫌いなのになんでそんなに体がごついんですか」と驚かれて対応に窮する。  いつだったか、石焼いも屋に「買ってかない?」と勧められ、買わないでいたら「けっ、無理すんなよ!」と理不尽な罵《ののし》りを受けたことさえある。 『枕草子』にも「小さきものはみな可愛い」とあるように、可愛いことは小柄な女性の分担なんだろう。  そういうわけで、渋谷駅のクッキー屋付近で鼻をつまんでいるナスターシャ・キンスキーに似た人を見かけたら、それはきっと姫野です。  ただ吐き気をこらえているので声はかけないでね。あとで色紙を持って来てくだされば『心の旅』とサインします。ただし角川書店では「どこがナスターシャ・キンスキーに似ているのだ」という反論は受け付けないそうです。もちろん本人も受け付けません。 い 生き血したたるステーキ 「どんな音楽を聞くのー?」  Boy meet girlに際してこのセリフはどれほど巷間《こうかん》を飛び交っていることだろう。すでにboyでなくなっていてもgirlでなくなっていても、男と女のファーストシーンでもっともよく使われるセリフ。私はこの質問をされるときがじつにツライ。なぜかというと、音楽が嫌いだからだ。  音楽を聞くことはある。朝、鼓弓音楽で目覚めるのは気分がいい。昼食時、民謡をよく聞く。日本やアラビアや東欧民謡。いやなことがあったとき小唄《こうた》やどどいつを聞くと胸のつかえがとれる。高校生のころ、数学の問題に詰まると長唄や端唄を聞くとホッと気分がラクになったものだ。でも何《いず》れにせよ曲名は一つとして知らない。小唄と長唄の区別もまったくつかない。漠然と流しているだけだ。それに「どんな音楽聞くのー」と多くの質問者が訊《たず》ねるときの音楽にハナからこれらのジャンルは入っていない。  なぜか「昼のJ‐WAVEでかかるような音楽」かジャズか、日本のものだとニューミュージックとかロックとか呼ばれるものに限られている。これが私にはぜんぜんワカラン。決して嫌いなわけではない。好きな歌はたくさんある。好きな歌手もいる。しかし基本的にワカラン。とりわけ英語の歌がワカラン。歌詞がワカランからワカラン。いつから日本人はそんなに英語が達者になったのだ、と訊《き》きたい。 「歌詞なんて。リズムに乗るのよ、リズムに」  リズムに乗る。これが私にゃさらにワカラン。 「どう乗るのだね?」  と、ステッキ叩《たた》いて金の懐中時計見ながら質問したくなる。  だから、結局、私は音楽が嫌いなんだろう。  しかし、そんな私にもはっきり好きだと思う音楽がある。クラシック。冒頭の質問にこう答えると八割の人はいやな顔をする。クラシックが好きであることは「イヤミ」であったり「面白くない奴《やつ》」であったり「気取っている」であったりするらしい。残り二割は目を輝かせる。輝かせて、誰それの指揮がどうの何年の録音がどうのどこそこの機械の音質がこうの立て板に水のごとく演説することが多くて困ってしまう。私にはそんなこたワカラン。  私はただ、クラシック音楽はエッチだから好きなのだ。 「クラシックなんて眠くなる」  そう言う人によく出会うが、ずいぶん御清潔で御誠実な人だなあ、と感心する。クラシックってヘタなアダルト・ビデオよりずっとエッチだ。お茶漬さらさら食べてきた民族にはとうていマネのできないエッチさである。なるほど血のしたたるステーキを食べてきた民族のエッチさである。  最近はとんと「名曲喫茶」というのを見かけないが、もし「名曲ディスコ」というのがあってサラサーテのバイオリンで踊るんなら私にもリズムに乗るというのがワカル。そんな所でナンパされたらすぐOKする。  そして「名曲ホテル」の前まで来て表の電光看板に「ラフマニノフのピアノの二番のサービス有」とか表示されていたら「早く入りましょうよ」と入室を急《せ》かすだろう。  それくらいクラシックには性的興奮をかきたててやまない作用がある。  それなのに、日本人はどうして、どうしてクラシックの不正利用をしないのだ? 「ねえテレホン・セックスしない?」って夜中に電話してくる人がいるけど、芸がない勧誘である。こんなことを唐突に言われても、なんだイタズラ電話かと思うだけではないか。ブラームスの三番を流すくらいの創意工夫をしろ。これが「名曲イタズラ電話」。ほんとに皆さん御清潔。  私など、街角で「第九」って文字をポスターに見ただけで欲情してしまう御不潔な人である。第九の第一楽章のエッチさといったら他に類をみない激しい猥褻《わいせつ》度。亀甲縛りとか乱交パーティとかそういう言葉と同列の語音だ、ベートーベン交響曲第九番っていうのは。この原稿のためにベートーベンって書いただけでもうカーッと顔が赤くなるもん。よくも発禁にならないもんだとハラハラしてるのに、年末になるといっせいに第九を聞くなんて、「どういう御淡白な国民性なのかね?」  って、またステッキ叩いちゃう。さあ、みんな、血のしたたるレア・ステーキを食べて「名曲ソープ」に行こう! う ウナギ 「カレは月に一度しかセックスしてくれません」  というような告白を、たまに雑誌で見ることがある。  とてもふしぎだ。  そしてそういう告白に対し、 「そりゃ、さびしいネ。ウナギでも食べさせてあげたら?」  などと雑誌サイドが答えていると、ますますふしぎになる。  月に一度しかセックスしない、ということはさびしかったりヘンだったりするのが常識な感覚なのだろうか。 「あたし、一年間、セックスしてない」  という友人がいた。  自嘲《じちよう》の表情をうかべていた。 「ふうん……そんなものなのか」  ふしぎだった。  そのことを、またべつの友人に言ったら、彼女は、 「恵まれてるひとたちなのよ、そういうのは」  と、けだるい表情になり、つづけた。 「私なんかね、いちばん近いセックスは前回のオリンピックよ。たいてい」  つまり四年に一回くらいしかセックスしない、という意味だ。 「えっ」  わたしが低い声で叫ぶと彼女は、 「オドロキでしょ」  と言った。  わたしが叫んだのは、 「えっ、このひとは四年に一回もセックスするのか」  という意味でだった。  わたしの感覚では、 「常識ある平均的なひとびとがセックスを行う回数は十年に一回」  である。  だから、 「カレは十二年に一回しかセックスしてくれません」  という告白に、 「そりゃ、さびしいネ」  と答えてあったなら、なんとなく同意したと思う。  同意するが、 「でも十二年に一回セックスできるのならいいよね」  とも思っただろう。  もちろん、ここでいうセックスとは、強姦《ごうかん》によるセックスは除外している。  いったい、世間のひとはそんなにセックスするものなのだろうか。  いつ、するのだろう。  土、日にするのだろうか。  でも美容師と公務員のカップルだと休みがそろわないのにどうするんだろう。  公務員はぐうたらに仕事して時間になったら非情このうえなくカーテンをぴしやっと閉めてしまえる仕事なので、美容師の休みのほうに合わせてセックスするんだろうか。  でも、美容師とそば屋さんのカップルの場合はどうするのだろう。  そば屋さんはだいたい年中無休で忙しそうだから休みを合わせるのはたいへんだと思う。  それとも美容師とそば屋さんのカップルというのが存在しないのだろうか。  そうそう、だいたい「カップル」ってどうやって生まれるのだろう。  見合い結婚の夫婦の誕生はわかる。お見合いして生まれる。  一夜カップルもわかる。金銭授受で生まれる。あるいは、自暴自棄な感情などによって生まれる。 「ごくふつうのカップル」というのがわからない。  ゆくゆく結婚するにせよ、ある考えのもとに結婚という形はとらないにせよ、どちらにしてもカップルというのがわたしにはミステリアスな存在である。  いつ相手と知りあうのだろうか。  ウイーク・デーに知りあうのだろうか。  ウイーク・デーにどうやって知りあうんだろう。  男は私立探偵。  ウイーク・デーのある日、白いスーツに白い帽子をかぶった女が仕事の依頼に来る。  帽子にはレースのネットがついており、ネットの奥に輝く湖のような瞳《ひとみ》が印象的である。  引き受けた仕事を調査するうち、実は依頼者の女こそ事件のカギを握っていることがわかってくる。 「きみはいったい何を隠している?」  私立探偵は白いスーツの女ににじりよる。  女は最初はシラをきろうとするが、やがて静かに話しはじめる。  愛する妹は男に裏切られ自殺したのだと。それでその男のスキャンダルを暴いて復讐《ふくしゆう》しようとしたのだと。 「そうか。それならば、探偵のくせにまんまときみにだまされた俺《おれ》もきみに復讐する」  男は言い、さっと女の帽子からネットをひきちぎり、抱きよせキスをする。  キスをしてから、 「きみに魅せられてしまった」  と言うと、女も、 「一目見たときから、私も」  と言い、もういちどしっかりと抱きあいキスをする……というようなきっかけで誕生するカップルは日本には、いや、世界にもそんなにいないはずだ。  それなのに、みんなどうやってカップルになるのだろう。  こういう話をすると、よくひとは笑うが、わたしは、心からふしぎでならないのだ。  ブリッコしているのではなくて、ほんとうにふしぎなのだ。めでたくカップルになるということが。  わたしはものを書いて暮らしている。月曜から日曜まで書いている。起きたときから寝るときまで書いている。  原稿用紙に向かっておらずとも、たとえば資料の本を探すために、風景描写の参考にするために、外に出る。歩きながら文章をまとめている。  原稿がうまく進まないときは眠っていても夢の中に原稿用紙がひろがっている。  ようするに一日24時間営業、年中無休で書いている。  一人で行う作業なので、昼休みに社員食堂で男性と知り合う、などということがない。  まったく、ない。  知り合うのは編集者くらいである。編集者の半分は男性だが、編集者とはカップルにならない。編集者とは仕事の取り引きをしているわけだから。  女子高校や女子短大、女子大学の先生が、いくら女性と会う機会が多いからといってそうそうカップルにならないのと同じである。  たとえ先生と生徒、編集者と書き手、という関係以上に仲良しになったところで、それはあくまでも「仲の良い友達のような先生と生徒」であり、「仲の良い友達のような編集者と書き手」であろう。  生徒が先生の自宅の電話番号を知っているだろうか。知ってはいまい。  書き手が編集者の自宅の電話番号を知っているだろうか。知ってはいまい。  くどいようだが、あまりにも出版業界以外に住むひとは書き手と編集者の関係を知らないようなので口が酸っぱくなるほど言っておく。  あのね! 書き手と編集者のあいだにはなにもないのである。なにもあったのは明治時代のことである。平成でそれをやりとげるのは特異なふたりなのである。  もっと極端に言うと、九九パーセントの編集者は、異性としては作家は嫌いなのである。仕事じゃなかったら声なんか聞きたくないと思っているのである。  もちろん、ごくごくごくごくごくごくごくごくごくごく稀《まれ》に、先生と生徒がカップルになるように、編集者と書き手がカップルになる場合もある。  しかし、そういうカップルは仕事を越えたという特殊な事情があるから、すごく真剣にまじめに重厚なおつきあいをして結婚する(そういうカップルを直接知らないし、知らない以上直接カップルになった経緯を聞いたこともないので推測するしかないのだが)。  だから、先生と生徒、編集者と書き手の間に「お気軽な異性感情」は生まれない……㈰  しかし、たいていのカップルというのは最初は「お気軽な異性感情」を抱き合って「恋愛」に発展する………㈪  だが先生は毎日学校で顔を合わせる機会の多い同僚の先生とカップルになる可能性が多分に残されている………㈫  また、編集者も毎日出版社で顔を合わせる機会の多い同僚や受付嬢やアルバイト嬢などとカップルになる可能性が多分に残されている………㈬ ----------------------------------------  ㈰㈪㈫㈬より、  ∴わたしとカップルになる相手 0 ----------------------------------------  これが結論として打ち出た定理だ。  わたしはこの定理をヒメノ原則と名づけることにした。  以前は、まだ見ぬ恋人、と世間で美しき表現をする存在を空想することがよくあった。  オール巨人と港の見える丘公園を散歩する。グランド・ホテルでコーヒーを飲んでチャイナタウンで夕食。それから電車に乗って帰る。遅い時間なので家まで送っていくとオール巨人は言ってくれる。駅から家に着くまでに一カ所、ひとけのない所がある。そこを歩くときだけオール巨人はそっと手をつないでくれる。  散歩するときのオール巨人の靴から洋服から鞄《かばん》から自分の髪型から口紅の色から時計のデザイン、ひとけのない一カ所の風景のすみずみにいたるまでこと細かに空想していた。  この調子で田宮二郎との逆ナインハーフのようなセックスも空想していた。苦悩する姿がセクシーなひとだと思っていた。田宮二郎の着るパジャマからパンツからスリッパから部屋のカーテン、壁紙にいたるまで目の前で映画を見ているように頭に浮かんだ。田宮二郎がどういう顔をして苦しむか、その眉間《みけん》のシワの寄り方、肩のふるわせ方、シーツを伝う指の曲線まで想像して劣情をもよおしていた。もう死んでるのに。  春夏秋冬に一回くらい空想して劣情をもよおせたころは、まだよかった。  現在はオナニーをしたいという感覚がどういうものだったかほとんど忘れかけている。  隔月に一回ほど、ふとみだらな空想が頭に浮かぶ。五秒ですぐに消える。  空想したからといってどうなるというのだ。  オール巨人がわたしとつきあってくれるわけないじゃない。イタコじゃあるまいし田宮二郎が生き返ってセックスしてくれるわけじゃない。  オール巨人じゃなくったって田宮二郎じゃなくったって、相手はどこにいるというのだ。ヒメノ原則なんだから。  このようにすぐ冷静になって現状を把握してしまうのでみだらな感覚などひとっとびである。  そこで、とにかくわたしは自分にあった目標をたてた。  偏差値が50のくせに偏差値70の大学を受験しようとすると大失敗する。50なら55、55なら60と現状よりすこしアップしたところを目標に定める、これがマークシート教育でつち かったわたしの、わたしの、何だろうな……わたしのやり方、か。  カップルになろうとするのが、そもそも身のほどを知らないのである。  まず、ディズニーランドへ行く。これだ。  妻がいようが、婚約者がいようが、なんでもいい。男性とふたりでディズニーランドへ行く。  わたしはディズニーランドへいっしょに行ったからといって責任とって結婚してくれなどとぜったい要求しない性格である。ただディズニーランドへ行ってくれればいいのだ。  これを当面の目標にしておくと仕事にもハリがでるだろうと判断したので目標にした。  わたしがだれかとカップルになりたいと望むことがまちがいなのである。  こういうと、ものすごく謙遜《けんそん》しているように、いや謙遜を越して卑下しているように聞こえるかもしれないが、じつはいばっている。  わたしはヒメノ原則を打ち出したのちに、この原則を応用した解の公式をみちびき出した。  ヒメノ原則を肯定するならば、  ㈰カップルになれないひと=稀《まれ》  ㈪稀=非凡  ㈫稀=非凡=並ではない=美人  ㈬カップルになるひとびと=平凡 ----------------------------------------  ∴ヒメノ原則による解の公式   わたしは美人 ----------------------------------------  自分で自分のことを美人だと断言しているわけだから、卑下しているのではなくていばっているのである。  ウイーク・デーのあいだ、わたしはよくいばっている。  ウイーク・デーには出版社やセールスマンやら友人やから電話がかかってくる。土、日にはかかってこないのでいばれない。  ちょっと前ならこちらから電話していばれたが、今はできない。  友人たちは全員といってさしつかえなく結婚している。子供もいる。  土、日の団欒《だんらん》タイムに用事もなく電話できない。  編集者にはもちろんできない。だいいち電話番号を知らないのは前述のとおりである。  それで子供がいなくて結婚する予定のない友人にかけたらセックスしているところだった。  むろん、 「もしもし」  とわたしが言って、 「もしもし。すみませんが今セックスしてるところなので」  と言われたわけではない。  ふだんの様子と如実に雰囲気が違う反応があり、背後からウフフという声がかすかに聞こえた。 「あ、ゴメン。カノジョが来てたのねー?」 「はは、じつは……」 「やだー。それならそれで早く言ってくれればいいのにィ」  まあ、こんなかんじでそそくさと電話を切ったわけだ。  早く言ってくれればいいのに、と言われたところで向こうだって何と言っていいのかわからなかったのだろう。すまないことをした。  この事件はわたしの心に深く残った。  わたしが、ふとだれかと話したくなる時間というのは、きっと世間では「楽しい時間」であることが多いにちがいない。カップルの邪魔になりたくない、と強く決心した。  それで、個人的な電話をかけるときは、 「もしもし。今、セックスしてるところですか?」  と確かめてからかけていたら、こんどは、 「ヘンタイ電話みたいだからやめてください」  と言われた。  まったく、土、日というのはいばれないから困る。  ウイーク・デー以上にもくもくと原稿を書く土、日。  キリのよいところで休憩にしてごはんを食べる。  土曜日は「クイズダービー」を見ながら、日曜日は「ちびまる子ちゃん」と「サザエさん」を見ながら食べるのを楽しみにしている。  そして思う。 「みんな何してるんだろうなあ」  と。  ふしぎだ。  なぜ、世間のひとは風呂《ふろ》にも入らないでコンドームもしないで歯もみがかないでロングヘアーにこもったヤキトリ屋の匂《にお》いも気にしないでそんなにセックスできるのだろう。  ほんとうにふしぎだ。  ぼんやりと床の模様を見る。  土曜日は「加トちゃんけんちゃん」が始まったときに。日曜日は「キテレツ大百科」が始まったときに。 え エスプレッソ 「男ってヤツは女を見ればすぐ頭の中でハダカにして想像するのさ」  みたいなこと、いったい誰が言い出したんだろう。 「男ってヤツは女のハダカを想像するのが嫌いなんだなあ」って、私は思う。たとえば宮沢りえ。私はりえチャンが白鳥麗子してたときから大好きだった。でもそのころ、りえチャンを評して「清純な美貌とグラマラスな肉体との対比が新鮮だね」などと言おうもんならたちどころに男性から反論を受けた。「どこがグラマラスなんだよ」。奇怪だった。なんで反論を受けるのか不可解だった。でも、りえチャンがポカリスエットのCMで水着になったとき彼らは初めて言った。「宮沢りえって意外にグラマーなんだね」。その後のりえチャンの活躍は目ざましく、今ではもう反論する男性はいないんだけど、でもさぁー、フンドシになるまでわかんなかったのかなあ。またたとえば、アグネス・チャン。彼女もグラマーなんだけど、私がそれを指摘するとこれまた、「エーッ。どこがー」ってたいていの男性が反論する。ヘンだなあ。なんでわかんないのかなあ。  そこで考えてみたんだけど、男性って女性のムード(=雰囲気)だけを見てるんだろうね、きっと。白鳥麗子=清純→清純=ほっそり、アグネス・チャン=童顔→童顔=ほっそり。  これだよね。このムード原理をフルに利用したのがJJファッションであろうという結論にも達した。つまり、髪を長くしてウエストをマークした洋服を着てパンプスをはくと、それはもう「美人」なんである。  私はたいていダボダボのジーンズにダボダボのシャツを着ている。これは別にオシャレしてないわけじゃなくて、こういう洋服の「流派」なのである。  ある日、急に編集部へ行く用事ができた。時間がなく髪をまとめられなかった。顔なんか洗ったかどうかも疑わしいくらい急いでいた。いつもならジーンズをLEEにするかリーバイスにするか靴をプロケッツにするかゴルチエにするか、さんざん迷うのだが、迷う時間もなくてタンスを開けたところにあったブラウスとスカートをはいて飛び出した。細身のブラウスと短いスカートはやたら体にフィットしていてやぼったくて嫌いだった。「なんて身なりをかまってないコーディネイトだろうか」と電車内でもゆううつだった。ところが! 編集部に行くと「どうしたんですか。今日はきれいですね」と男性Aが言う。Aの美意識は狂っているのかと思っているとBまで「やせたんじゃない?」と言う。Cなど「豊胸手術したの?」と言う。 「ああ、なんてことだ」  私はガクゼンとした。男は長い髪に弱いと聞いてはいたが、まさかこれほどまでにゴマカシ効果があるとは。きっとそれまで男性は私をザンギリ頭だと思っていたにちがいない。ナチュラルメイクをスッピンだと思っていたにちがいない。やせたんじゃないのか、なんて、きっとそれまで男性は私のダボダボした洋服を見て、ダボダボの部分にまできっちり肉が詰まっていると思っていたにちがいない。豊胸手術? 私の洋服の流派は胸の隆起をまったく隠すことでメメしさを削《そ》ぎ、清潔感を出すのがポイント。きっと本当に胸がまるっきり平板な人だと思っていたんだろうなあ。そういや、よくペチャパイと言われたっけね。そりゃ恋人がいる人は恋人の言うこと信じてればいいんだろうけど、いない私の場合「ただの知り合い」の言うこと信じてしまうじゃないの。気に病んで中国製の胸を大きくするクリームを買ったのよ。一万二千円も出して。松坂季実子さんくらい大きくないとダメなんだわって悲観して悲しみにくれながら塗ったけど、全然効果なかった。一万二千円返してよ、おい、そこの「ただの知り合い」っ。  ああ、逆に言えば、なんて、なんて、男性って女性をいやらしい目でみることのない、やさしい人種なんだろう。  でもね。たまには女のハダカを想像してください。長い髪や口紅やスカートや、ウエスト・ニッパーやガードルやそれから鼻のシリコンや顔の骨削り手術も取り去ったエスプレッソのハダカを。私はいつも車と時計とシークレット・シューズ抜きで男のハダカを想像しておりますので。 お オレンジ  オレンジ警報発令——。昭和四十五年ごろ、NHKで放映されていた『プリズナー�6』は、ダリやキリコの絵の中に入れ込まれたような気分になる奇妙なドラマだった。当項では私の奇妙な体験を話す。  幼年時代の二年あまり、私はNさん宅に預けられていた。小学校に上がってからも、Nさんが遠方に引っ越したために会う回数こそ少なかったが、大そう私のことを気にかけてくれた。一九七八年八月。Nさんの夢を見た。奇妙だった。たしかにベッドに横になっているのだが、枕元《まくらもと》がものすごく明るいのだ。ライトとかカメラのフラッシュとかのような明るさではない。燦々《さんさん》とふりそそぐ陽光、という表現がぴったりの明るさ。陽光の中でNさんの瞳《ひとみ》は私を見ている。しかし口はぴったりと閉じている。閉じているのに「私はこれから遠い所へ行ってしまいますから挨拶《あいさつ》に来ました」と言ったのがはっきりと聞こえた。三日後、Nさんが死んだという知らせを受けた。「奇妙な体験」という題にあまりにも合っていて、まるで記入例のように嘘臭《うそくさ》いかもしれない。信じてもらえないかもしれないと書くのをためらった。が、本当の話である。  こういう話というのは推測するに、ある人にはいくつもあってない人には全然ない、のではないだろうか。私は、どちらかというといくつもある人のほうに属する。墓参りの帰り、私の乗った車の前に急にトラックが飛び出してきた。幸い事故を免れた。家に戻ってハンドバッグを開けるとバッグの中で数珠がちりぢりに切れていたことがある。  他にも、裏返しにしたカードの数を高い確率で当てられたこと、ある人がサイフを落とす日がわかったこと、さる人が交通事故に遭うのがわかったこと、などがある。とりわけ印象的だったのがNさんのことと、あと二つある。  一九七八年六月二十九日の夜。夢を見た。自分の卒業した小学校のグランドに立っている。大勢の生徒がいる。水飲み場をとり囲んでいる。先生もいる。新聞記者やカメラマンもいる。人だかりの中心が明るくなっている。何事だろうと思い、私はグランドから水飲み場のほうに歩いてゆく。中心には柴田錬三郎が立っている。黙って立っている。Nさんのときと同様、柴錬には燦々《さんさん》と陽光がふりそそいでいるように見える。私は柴錬が大好きだった。会えてうれしいはずなのに、ものすごく淋《さび》しい感じがする。柴錬は白い着物を着ている。ふりそそぐ陽光が白い着物に反射していた。白い光がなおのこと淋しい感じにさせたのをよく憶《おぼ》えている。翌日、隣人が私の部屋のドアをドンドン叩《たた》いた。彼女は私が柴錬のことを好きなのをよく知っていた。彼女は私に柴錬の死を知らせるためにドアを叩いたのだ。  最後に一九八九年の二月二日の夜の夢。京都の河原町通りを歩いている。ニュースが流れてくる。「手塚治虫さんが亡くなりました」通りを行く人々がざわめく。私は驚きと悲しみに混乱し加茂川の土手でしゃがみこんでしまう。うなされるように目が覚めた。ベッドの中にいることのほうが奇妙だった。カレンダーを見た、新聞を見た。それでもなお、漠然としたおぼつかなさが体内に残る。友人に電話をかけた。「手塚治虫、死んでないよね!?」息せき切って訊《き》いた。「死んでないよ。どうしたの、急に」「いや、ちょっと夢を見て」電話を切った。手塚先生を尊敬しているがあくまでも一ファンであり、入院なさっていることはまったく知らなかった。一週間後、驚きと悲しみは事実になった。「予知夢だったんだ」と一週間前に電話した友人。  予知夢。そういう呼び方もできるかもしれない。しかし、予知してどうなるというのだ。二回悲しむだけではないか。 か かまぼこ  ま、ちょっとは好きだったかな。物語性のある顔のデザインをしてて。そんな男のコがいて、大学生のとき。まだ知り会ったばかりのころ、そのコのところへ夜に電話した。 「新しい『ぴあ』買った?」  二人とも映画が好きだった。 「買ったよ」  彼が答えた。 「今回の中島らもの漫画はサイコーにおかしくなかった? 笑っちゃったよー」 「中島らも? ああ、あのサングラスかけてるキューピーみたいなのが出てくる漫画のこと?」 「うん。おっかしかったよね」  当然、彼も同意してくれると思っていた私は、電話の挨拶《あいさつ》としては最適の話題を自分が持ち出していると信じ込んでいた。ところが、 「どこが? 俺《おれ》、あの漫画って全然わかんない」  と彼は言う。 (おやおや、忘れっぽい人なんだな)  私は思った。 「かねてっちゃんがああいうことしてるから面白いんじゃないのー」  彼に記憶をたどる糸口を見つけ出させてあげようとした。ところが、 「かねてっちゃん? 何、それ?」  と彼。 (おや、まだ思い出さないのかな)  私は思い、電話片手に足で軽くリズムをとりながら歌いはじめた。 「ままごと遊びの母さんたちはみーんなてっちゃん大好きよ……」  チクワとかまぼこちょうだいな、まで歌っても彼はじっと黙っている。あれー、まだ思い出さないのか。しょうがないな。「ちょっとは好き」という男性を相手に年頃の乙女が恥ずかしかったが、 「へーい、へーい、まいど、ありがっとさん」  という色気もへったくれもない部分まで完唱してしまった。それなのに彼はずっと黙ったあげくに、 「知らない」  と一言。  彼から説明を受けて私はやっと悟った。かねてっちゃんのCMは関東ではやっていなかったということを。 「えーっ、かねてっちゃんって全国ネットじゃなかったの!?」  これは打撃だった。あの、ほとんど尋常小学校唱歌ではないかというくらいの、「伊東に行くならハトヤ」とタメに有名と信じて疑いもしなかったかねてっちゃんの歌を知らない人がいたのか。ああ私は箱根の山を越して来たんだなあ、と初めて東カルチャーというものの存在を実感したのだった。  私が精神的打撃に黙っていたので彼も手持ちぶさたになったのか、話題を変えてきた。 「今、何着てるの?」  と。  今から思えばこれこそ男女の深夜の電話にふさわしい話題だった。松坂慶子の出た映画で同じ質問を片岡孝夫から受けるシーンがあったではないか。 「今、何着てるの?」 「あたし? 教えてあげましょうか。は・だ・か」(ウフフと艶《つや》っぽく笑う松坂慶子) 「え……」(少しとまどいながらもうれしそうな片岡孝夫)  と、いうヤツ。  画面には松坂慶子が映っていて、裸ではない。裸ではないが片岡孝夫を挑発するためにそんなことを言うシーンであった。 「何を着ているか」と男子大学生から訊《き》かれた女子大学生が、その映画のようにまで凝った色気づくりはしなくてもいいわけで、正直に「ジーンズとトレーナー」とか「パジャマ」とか言えばいい。  電話の向こうにいる相手の服装を気にかけるということがもうそれ自体でロマンスの香りがほのかに漂っているではないか。  さらりと答えればよかったのである、私も。  私は詳しく答えすぎた。私の答。 「今? もーれつしごき教室の生徒みたいなジャージ」  東カルチャー・ショックを受けたばかりの名残《なごり》でこう出たんだと思うけど、これがまた、彼には何のことかわからなかった。関西のTV番組の説明に明け暮れた電話となった。  結局、彼とはその後もロマンスは育たなかった。狭い日本、東西カルチャーの差は意外に恋愛の障壁となるかもしれまへん。う〜ん。万代百貨店。 き きぬかつぎ  大学生時代は女子学生寮に住んでいた。学校付属の寮ではなく、民間のものである。  といっても、原宿にある東郷女子学生会館に代表されるような豪華なマンション・スタイルではなく、小さな会社の小さな社員寮だったのを女子学生向きにした木造の古い建物である。  入り口の所に、内海好江師匠によく似た頼もしい寮母さんが座っているような昔ながらの下宿寮である。 「不便そう……引っ越せばいいのに」  よく同級生に言われたが、越す気にはまったくなれなかった。  都心でかつ静かな一角で日当たりがよく広く安くセールスマンも来ず、銭湯もすぐ近く、その銭湯がすごく混むのがちょっと難儀だった以外は文句なしの所であった。  私はオーディオ・セットも持っていなかったし、最初のうちはTVも持っていなかったし、楽器も弾かないし弾けないし、マージャンもしないし、掃除機すら使わない(畳の部屋の掃除は箒《ほうき》が一番)いたって静かな女子大学生であった。  私にかぎらず、音大生でもない普通科の学生ならそんなに部屋で騒ぐ必要もないだろうになんでまたみんなはそんなに、「不便そう」「不便そう」と私を気の毒がってくれるのかふしぎだった。  音楽をオーディオ機器に凝ってまで聴くという執着が私にはないが、わりと多くの若者にはあるらしいので、たぶん、このあたりがみんなの「気の毒」なのだろうと解釈していた。  ちがった。  ちがっていることを理解するできごとをある夜、私は目撃したのである。  最終湯から寮へ戻って来ると、寮母さんの部屋と反対側にある非常段階をニシフジさんがそーっとそーっと登っていた。  ニシフジさんは私のななめ前の部屋の人だ。ニシフジさんの後ろには男性の影があった。 「なるほど」  腕組みをするほどのことでもなかろうが、私は理解した。寮は男子禁制だった。  みんなの「不便そう」は「BFを部屋に呼べなくて不便そう」の「不便そう」だったのだと。  好きな男性を部屋に呼ぶ、という願望を私は学生時代持ったことがなかった。個人生活にまで恋愛が入ってくるのはまっぴらごめん、と感じる何かが私の神経の内部にはあった。当時は。  現在は、恋愛感情にかかわらず好ましく感じている人とは男女問わず部屋でお話したいと思う。店だとリラックスして話せないから相手に誤解を与えやすいということを学んだからである。  ただ、それでも、仕事をしている部屋に来られるのはぜったいにいやだ。生理を売る職種だから部屋には誰も来てもらいたくない。  仕事場とは別の部屋に来てもらいたい、のだが、私には二つも部屋を借りられるほどの経済的余裕がない。 「せっせと働いて応接部屋を借りられるようになろう」  とは思うものの、借りられたところで訪れてくれるのが「友人」ばっかりなのもむなしい気がしないでもない……。  話を過去にもどそう。  ニシフジさんとそのBFらしき人物は無事階段を上り終えたようだった。  私も自室に戻り、仕事をはじめた。学生時代から物を書いていた。夜型で、朝の八時ごろまで書いていた(そのため、午前中の講義はたびたび単位を落とした)。  寒いころだったが、明け方、コーラが飲みたくなった。寮の近くにある自動販売機に行こうと思った。  部屋のドアを開け、一歩前進した。と、私の足元にむきだしのコンドームが落ちている。  中学生のときいたずら好きの男子生徒がどうやって手に入れたのか学校にコンドームを持ってきて私に見せてくれ水をいっぱいいっぱい入れて数人で騒いだことがあったので、私は落ちているものがコンドームであることがわかった。  だが、コンドームの中には水は入っていなかった。入るべき液体が入っていた。使用済みのコンドームを見たのはそのときが初めてであった。  なぜこんなところに使用済みのコンドームが落ちているのか原因不明である。が、原因を追求するよりも先にこれを処分しなくてはいけない。  このままでは落ちている位置からして私が落としたと寮内の人に思われる。とにかく捨てなくてはいけない。 「困った。どうしよう」  早く捨てなくてはならないが、どうやって持てばいいのだ。  困った末に、いったんドアを閉め、部屋にあったワリバシとスーパーの紙袋(小)を取って来た。  ワリバシではさんで袋に入れて捨てる方法が最も手を汚さずにすむ方法に思われた。  腰を曲げ、コンドームをワリバシではさんだとき、がちゃ、とニシフジさんの部屋のドアが開いた。 「あ」  そのままの姿勢で私はニシフジさんを見た。  するとニシフジさんは、 「あ、それ、こっちにもらっとくわ」  と言うなり、サッと素手でコンドームをすくいとりドアを閉めた。  私ははさむ物のなくなったワリバシを持ったまま、しばらく廊下にたたずんでいたのだった。     *  なぜこの話が〔きぬかつぎ〕なのかという説明は下品なので省きます。 く クセのない納豆  なさそうでありそうなもの、というコーナーが雑誌(誌名は忘れた)に連載されていた。  なさそうでありそうなもの。 「カンフーのできない香港《ホンコン》人」 「手先の不器用なSONY社員」 「リズム感のない黒人」  などなど、おもわず笑ってしまうものが並ぶなかに、 「納豆の好きな関西人」  というのもあった。私はコレである。  納豆は小さいころから大好きである。あのクセがいいのである。最近は関西市場を一気に広げるべく「クセのない納豆」なるものが納豆会社から発売されているらしいが、クセのない納豆なんか真如苑《しんによえん》に入会した後の関根恵子みたいでつまらないではないか。  関根恵子はよかった。今ももちろんいい(高橋伴明監督に嫉妬《しつと》するほど好きなので、私は今でも意地になって関根恵子と昔の名前で彼女を呼んでいる)。宗教は個人の選択であるから真如苑に入会して彼女が幸福であるならば何も文句はない。  けれどけれど、ブラウン管なりスクリーンを通してなり見た「女優」としての好みからすると、それも私の好みからするとどうしても昔の関根恵子のほうが好きなのは否めない。『ドラキュラ』の舞台をすっぽかして恋人と逃避行したときの関根恵子が最高に好きだった。  逃避行先から戻って来た飛行機のタラップで見せたあの微笑は女の私でさえクラクラするほど狂おしい魅力に満ちていた。  ところがふしぎなことに、関根恵子を好きだという男性が私の周囲には極端に少なかった。 「とって喰《く》われそうだから」  そんな理由を聞かされたおぼえがある。  ふしぎだった。そこがイイのではないか。それをヤルのが男の助平ダマシイではないか、と憤慨したものだ。  それが最近になって彼らは言う。 「今の関根恵子は好きだよ」  私はひどく悲しい思いになる。悲しみの理由はもう関根恵子からはとっとと離れていて、彼らの元気の無さ、に悲しくなるのである。  元気の無さ、というより、助平の無さ、に悲しくなる。  なぜ、最近の男性というのはこんなに助平ではないのだろう。「最近の男性というのは」などとエラそうに十把一絡《じつぱひとから》げなもの言いをすると、実際にもエラくなったかんじでなかなか気分がいいが、本当に最近の男性の去勢ぶりには目を見張るものがある。  まわりを見渡せば、風俗産業や裸体写真があふれている日本の世の中であるが、彼らはそういうものにさえもう興味を失っているように思われてならない。 「そんなとこ、ちっとも行きたくない」 「無修正写真? べつに欲しくない」 「恋人? べつにいなくたっていいじゃない。一人のほうが気楽だよ」 「女の子とつきあうのはめんどうくさい。部屋で一人で漫画読んでたほうがずっと楽しい」  みなさん、一様にこんなふうなことをおっしゃる。 「ねえ、大信田礼子が脱いだにっかつのビデオ手に人らないかなあ」  こないだ一人、私に訊《たず》ねてきた男の人がいて、私は砂漠に水仙が咲いているのを見つけたような新鮮な心地になった。 「おお、まだ、女に興味のある男の人がいたのか!」  と。それほど最近の男性というのは助平ではない、と痛感している。強姦《ごうかん》するのはよくない。痴漢もよくない。私の言っている助平というのはこういう意味ではない。ある個人としての女の人に興味を抱く、という意味である。  好きな女優、好きな歌手、好きな同級生、好きな同僚、好きな風俗産業嬢、そういうものが彼らにはいないのである。  彼らから多少好きになってもらえるのはクセのない納豆、ねばらない納豆のような女の人なのだろう。関西人のくせに納豆が大好きな私はたぶんこの先、男性から好かれることも好きになることもない気がする。  だから私は一人でも生きていけるようにせっせとお金を貯めて施設の整った老人ホームへ入れるようにしよう。そこで納豆をごはんにかけて食べよう。峰岸徹のブロマイドでも見ながら。 け けったいなパン  科学と学習——、と聞いてプラトンやアルキメデスを思い出す人は放っておく。 『科学』と『学習』、この二誌は書店には並ばない。定期購読を契約した者にのみ学校で配付される。  で、どういう生徒が定期購読するかというと、これがよくわからない。  私は「ぜひとも購読したい」という旨を両親に告げたおぼえがない。購読している他の生徒も両親に頼みこんで購読していたようすはない。田舎住まいだと、定期購読する家庭というのは、一種の義理のような、あるいは嗜《たしな》みのようなもので定期購読していたのではないかと推測する。  ともかく、私は二誌をとっていた。本誌自体よりも付録が楽しみであった。とりわけ『科学』のほうの付録は、ビーカーやら試験管やら電磁石やら、子供の好奇心をぞくぞくさせる品が付き、『りぼん』の付録と双璧《そうへき》をなす蠱惑《こわく》であった。  ある号の『科学』に「パン作り実験セット」というのが付いた。酵母菌を使用して自分でパンを作ってみましょう、というものである。  実験説明書に従って私はこつこつと小麦粉をこねた。だが、説明書には、 「こね終わったら中にアンコを入れます」  と書いてある。これがいやだった。甘いものがいやだった。  そこで私は戸棚に残っていたピーナッツを一握りすり鉢に入れ、すりこぎでつぶしたものを小麦粉の中に入れた。  セットには発泡スチロールの小箱が付いており、酵母菌をまぶし、内部にすりつぶしたピーナッツの入った小麦粉をその小箱に入れて一昼夜おく。  小学校四年であったろう。 「ああ、明日になればどんなにおいしい手作りのピーナッツ・パンができあがることでしょう」  とワクワクしながら眠り、翌朝学校へ行き、学校から帰り、いそいそと発泡スチロールの箱を開けた。  ふんわりした形状のものが箱から出てくると信じていたが箱から出てきたものはショボンとしてペチャッとしたものだった。  がっかりした。食べてみるともっとがっかりした。  それは、とてもまずかった。口の中でニチャニチャして、とてもじゃないが、パン、という代物ではなかった。  そのうえ、すりつぶしたピーナッツはザラザラ湿ってパンをいっそうまずくさせるのを手助けしていた。  かかる思い出を、高校生になったとき、イシダさんという編集者に話したことがある。  イシダさんは『高2コース』の編集者で、この『高2コース』というのがまた『科学』と『学習』を出している出版社の雑誌で、雑誌の企画として、読者と話そうコーナー、といったものがあり、ある時間内に電話をすると編集者と読者が話せるようになっていた。  イシダさんは、業務上もあってと思うが、楽しそうに私の話に相づちを打ってくれ、ピーナッツ・パンの話から恋愛の話へと会話を進展させた。 「将来、もっと大人になって恋人ができたらおいしいパンを作ってあげるといいよ」  みたいなこと言ってくれた。  …………。  イシダさん。あれから何年も年月を経て、私は『科学』と『学習』を出している出版社の原稿も書くようになりました。  でも、イシダさん、私がパンを作ってあげたいと思っていた男の人にはフラれてしまいました。一度もパンを作らないまま。パンどころか思い出らしいこともないまま。  イシダさん、私はその男の人にもイシダさんに話したパンの話をしたことがありました。  彼はそっけなく言いました。 「俺の家、貧乏だったから『科学』と『学習』はとれなかったんだよ」  こんな何気ないファクターがロマンスを消してゆくものなのですね。  年だけとっても私の恋愛人生はイシダさんに電話したころから少しの成長もありません。ショボンと湿ったパンのままです。  恋の酵母菌が付録になっている雑誌はないものでしょうか。 こ コノワタ  現在は、とりわけ、ということもないが、小学生のころ私は異様にコノワタが好きであった。  直径十二センチ、縦十五センチほどの小さな円筒の、薄い木の箱に入ったコノワタ。それを毎年、父親は誰かからどこやらから入手してきて大事そうに晩酌の友としていた。とにかく高いものなのらしかった。  ズルズルしていてくろぐろしていてツーンと生ぐさい。 「おいしそうな、いい香り〜」  と、子供心に思った。  少し試食させてやるとの父親のチャリティーで食べてみたところ、これが、 「うまいっ」  と思った。もっと食べたかった。だが、もっと食べたい、と父親にねだるというような行為ができない。  わが家は家族で必要以外の会話をしてはいけないという規則があり、ねだるなどお茶目な行為はとんでもない。  それでも食い意地の張っていた私はどうしてもコノワタをもっと食べたい。  そこで、鍵《かぎ》っ子という利点をフルに活かす案を考えた。  小学校三年だと、けっこう早い時間に帰宅する。チャンスタイムはここだ。  特徴ある円筒容器をそっと開け、コノワタを小皿に取り、犬小屋に行く。  そしてスプーンでゆっくりゆっくり、生ぐさい香りを噛《か》みしめ、じょわーっと唾《つば》と混ぜあわせ、くつろぎながらコノワタを食べるのだ。  犬小屋で食べる、というのが、いたいけな印象を与えるかもしれないが、しかし、本当に犬小屋で食べていたのだからしかたがない。  犬小屋、といっても納屋を改造したようなとても大きな犬小屋である。  鍵っ子の御多分にもれず、犬と私は固い固い絆《きずな》で結ばれていたので犬といっしょにいるときが最大のリラックスタイムなのだ。  よって、せっかくのコノワタは彼女といっしょに食べたかったわけである。そのくせ彼女にはコノワタをやらなかった。 (…………)  過去をあらためてふりかえる。彼女はきわめてやさしい犬だった。飼い主の悪い性格にも似てくれず、いつも寛大で、そのうえ賢い、まったくよくできた犬だった。彼女といっしょに犬小屋で食べたコノワタは実においしかった。  おそらく盗み食いをしているという。�秘密�の要素が味を高めていたのだろう。  それに、〔あ〕の項にも書いたが、幼いころから私は甘いものが嫌いで、アンパン(注・シンナーじゃないよ)をもらってもクリームパンをもらっても、くれた人の見ていないところでそっと中身を捨てて食べるというヒドイ行いをしていた。�秘密�の要素だけでなくコノワタ本来の味も私の味覚の趣向に合っていた。  イワシやサバ、イカのスミ、パセリ、紫蘇《しそ》など、ああいうアクの強いクセのある香りが大好物だったし、今もそうである。  何かの本で読んだのだが、女性の舌は男性と比較して甘味を感知する突起が少ないのだそうだ。  そのため女性は男性以上に、「もっともっと」と甘いものを求めるから、結果として「女性は甘党」となるのだそうだ。  では私の舌は男の舌ということになる。  そういえば、犬小屋でコノワタを食べていたころから私はなぜか、自分が本当は男ではないのだろうかと疑われてならなかったのだが、原因は舌にあったのか。  再びそういえば、過去をふりかえるという行為自体が男によく見受けられる行為である。漫画の付録やオマケをいつまでも持っている、そういうオタクな行為は男に多い。  舌も男なことだし、レズの道に走ってもよい。 さ 酒  いつの日か彼と赤坂プリンスホテルできれいなグラスに入ったきれいな色のお酒を飲む……。かつて私の夢であった。女の人の夢として奇異なものではないと思う。  その昔、ピンキーとキラーズというグループがいて『恋の季節』という曲をヒットさせた。そのころ私は小学校の、たしか五年生。「夜明けのコーヒーを二人で飲もう」と「あの人」から言われた、という主旨の部分が歌詞にあって、それはたんに綺麗《きれい》なフレーズなのだと解釈していた。早熟なつもりでいたがやはり小五は小五。「あの人」と飲むのは「夜明けのコーヒー」でなくても「渚のクリームソーダ」でも「白いテラスでレモンティー」でも同じだと解釈する年齢だったわけである。  ドクトル・チエコ先生の悩み相談コーナーを読む年齢になって初めて悟った。「アア、あの人と夜明けのコーヒーを飲む、という表現はメタファーだったのだ」と。  むろん、現在はドクトル・チエコ先生のコーナーに投書する年齢をとうに過ぎてしまい「昨夜はネ、赤プリだったのよ」と友人が言ってきたところで「どういう意味?」などと無粋な質問はしない。また、それほど赤プリというのはカップルの届け印みたいになっている。べつに「東京ベイ」でも「石庭」でもいいんだろうが、そこらへんは朝にパンを食べる人でもプロポーズするときは「きみのみそ汁の匂《にお》いで起きたい」とか言うのと同じことだろう。つまりメタファー化したのだ。赤坂プリンスホテルは。  で、このあいだ、私はある男性に「赤坂プリンスホテルでカクテルを飲んでみたいわ」と決死の覚悟で提案した。その男性のことをずっと好きだったが、私は「ウッフーン、酔っちゃったみたい」などと酔ってもいないのにしなだれかかれる卑怯《ひきよう》な手段を使える性格の人間ではない。ここは正々堂々と、と思い決死の覚悟で赤プリを提案したのだ。その男性の答えはYESだった。うれしかった。とてもうれしかった。うれしくて、うれしくて友人に電話しまくった。 「今日はね、今日はね、赤プリに行くの」  嬉々《きき》として美容院でブローしてもらい黒いソフコン(編集部注・ソフトコンシャスの略。さりげなくボディコン)のミニのワンピースを着てシャネルの口紅を塗って、いざ赤坂へ。  赤プリのかの有名なラウンジでカクテルを飲んだ。「それどんな味」「飲んでみる?」などと言い合いながら飲んだ。その男性が飲んだグラスに口をつけることで私の心はセーラー服に身を包んでいたころのように高鳴った。十一時。彼は言った。「電車がなくなるから帰ろう」私は答えた。「……そうだね」それで赤プリを出た。ラウンジの中がすごく暖かかったので出るとすごく寒かった。ミニのワンピースの下にパンティをはいていなかったのでよけい寒かった。パンティをはいていなかった、というと私の人間性に対して誤解を招く恐れがあるが、今流行のパンティ一体型ストッキングしかはいていなかったという意味である。  赤プリから駅までの距離でいいから、せめて腕を組みたかった。だが悲しみをこらえるのに精一杯でとてもじゃないけど「ねえ腕組まなィ?」とは提案できなかった。寒くて二度とミニのワンピースも着たくなかった。家に戻って友人に電話した。 「えっ、どうして? 今晩は赤プリじゃなかったのオ!?」  驚かれた。 「赤プリ行ってカクテル飲んで電車で帰って来たのオ!?」  笑われもした。  しょせん本人の悲しみは他人の笑い話だ。友人たちはいっとき、自分たちのカクテルや夜明けのコーヒー時に愉快な話題として私の悲劇を使っていたようである。  御丁寧にもこの悲劇には後日談が付いている。後日、某編集者(男)からの電話があった。何かのついでに男同士だったが話のネタにと赤プリのラウンジに行ってみたのだそうだ。 「いやあ。あそこは男女で行ったら何でもない間柄であっても何でもなくない間柄の気分にさせる場所ですよね」  シクシク。電話を切ってから私は伊東ゆかりの歌を口ずさんで、あらたに願った。 「あなたが噛《か》んだ小指が痛い、この歌の意味が昔はわからなかったわ……」と、いつの日かあの男性に、赤プリの、ラウンジじゃない場所で言いたい。それが私の現在の夢です。たしかピンキラと同じころのヒット曲だったよね。 し 商法と食事  デート商法。  それは、デートのように女性と喫茶店で会ってお茶を飲み、世間話をするうちに、商品を買う契約をさせてしまう商法のことである。  被害者の看護婦さんの談話が某週刊誌に出ていた。 「仕事が忙しくてグチを言う相手が欲しかった。そんなとき着物の会社から電話がかかってきたの。着物なんか全然買うつもりなんかなかったし、向こうもしつこく勧誘してる雰囲気はなかったから、暇つぶしくらいの気持ちで会ったのよ。ほんとに着物の話なんかほとんどしなかった。会ってごはん一緒に食べて、いやなことや辛いこと、彼なんでもやさしく聞いてくれるのね。うん、うん、って。寂しそうな顔は似合わないよ、華やかな友禅でも身にまとったら気分も晴れてきっとステキな笑顔に映える、って言われて契約しちゃったの」  記事を読んで、バッカだなーって思う人もいるかもしれない。たしかに、バッカなこと、を彼女はしたのである。彼女自身、 「今になって思うと、なぜ、契約書に印鑑を押してしまったのかわからない」  と言っている。  私は、目頭が熱くなってティッシュで押さえた。 「私だって被害にあったことだろう」  と。  彼女が印鑑を押したときの心情が痛いくらいに私にはわかる。  トランス状態だったのだ。きっと。  彼女はたぶん、仕事熱心な看護婦さんだったのだろう。学生時代からまじめで律義で、博愛の精神に基づいて看護婦を選択したなどとは言わないまでも、しっかり手に職をつけねばと考えて、看護婦業を選んだのだろう。せっせと働き、病人の前で笑顔を見せ、婦長さんに叱《しか》られ、それでも仕事に誇りを持ってやってきた二十七歳。恋人はなし。 「恋愛なんて……。不規則な夜勤ときつい労働で、休みになるとぐったりしてそれどころじゃなかったわ」  という。  さぞかし、さぞかし、と私は思う。彼女だって、それなりに男の人と食事もしたろう。ドライブにも行ったろう。映画にも行ったろう。  でも、きっと彼女のような女性が知り合う男性は、みな彼女に自分の辛《つら》いことを打ち明けてきたんだろう。 「笑われるかしれないけれど、そのときは本当に着物でも着てみよう、って思ったんです」  うん、うん、うん、うん、うん。うん、うん、うん、うん、う——————ん。着物会社の営業マンじゃなくて、私がうなずいてあげたい。  私だって押してたよ、印鑑。押すよーっ。ぜったい押すよ。それがもし、土曜、日曜、祭日だったりしたら、意地でも押す。世間は楽しいホリデーズ、それに比べて私はなんてブルー、ブルーな気分を黙って聞いてくれたこのヒトに、押してあげましょ印鑑くらい、ってな気分にもなるよ。 「これが押さずにいられようかってんだ!」  くらいの勢いで押しちゃう。私だったら。  看護婦さん、女性文筆業者、女性課長、女性プロレスラーをボーッとさせるには苦労はいらない。  とりわけ文筆業者にBMWなんかサバティーニなんかいるもんか。「うん、うん」のうなずきさえありゃいいのだ。これに五百円の薔薇《ばら》一本と「今日の髪型|可愛《かわい》いね」の一言もプラスされれば、もう即決。着物だろうが英会話テープだろうがお米から作った化粧品だろうが何でも契約しちゃう。トランス状態になるのだ。  だって、なぜか、こういう職種の女性にチマタの男性は「悩み相談」するのよねっ。そしてまた、悩み相談されたらベストを尽くして相談に乗るのがこういう職種の女性なんだよね。でもこういう職種の女性って他のどの職種よりも非母性的なんだよね。ある意味で。  だから、今、私は「純粋デート商法」というのを発案してるの。デートして商品を買わせるから問題になるのよ。デートを売ればいいじゃない。一年契約でデートするわけ。セックスなんかしてくれなくてよくて、ただ「うん、うん」ってうなずいてあげるの。  そして嘘《うそ》でいいから「綺麗《きれい》だね」とかって言ってあげるの。それで一回二万円。年間十五回で三十万円。  どうだろう。  タダ働きのアッシー君をやめて誰かやらないかな。 す すいか  桑田佳佑さんとつきあってたのは、今となってはもう昔のことですし、今さら公共出版物でそういうことを話すのはちょっと……。え? 同じ学校だから? 関係ありませんよ、そんなこと……私はべつに……。まあ初めて出会ったのは、学食でしたけれど……、カツ丼食べてて……あ、そうです、彼が、です。当時の青学の学食で一番高いメニューがビーフシチューとカツ丼。四百円。私は二百五十円のキャンパスランチを食べてて……。ななめ前の席に座ってたんですよね。私は友達と横並びで、彼のほうはひとりでした。で、友達は次の講義のかげんで急いで先に行っちゃったんですけど、私は次が空き時間だったんで、ゆっくり食べてました。で、なにかのはずみで彼がお茶をこぼして、それが私のほうに流れてきたんです。そしたら、ポン、とハンカチ投げるんです。お茶が流れてるあたりに。どうも、のひとことも言わずに、黙って、表情ひとつ変えないで。なんて乱暴な人なんだ、って一瞬思ったんですけど、私も気が強いですからね。ヘーキな顔して、彼のハンカチでテーブル拭《ふ》いて、学食の隅っこに小さな手洗い場があって、そこでハンカチすすいできて、それから彼に向かってポンと投げときました。それがきっかけ、ということになるんでしょうか。以来、よく学食で出会っちゃって。きっと、学部はちがうけど、選択講義の時間帯のぐあいが偶然同じで学食を利用する空き時間が一致してしまってたんでしょうね。話すようになりました。 「音楽のクラブやってる」って言うんですけど、私、クラシック以外、まったく興味がなかったから「あ、そ」ってぐらい。  一般教養の「科学思想史」ってのを、彼、四回生だってのに受けてて「『ガリレオの研究と30年戦争との関係』についてのレポートを書かなくっちゃなんない。きみ、書いといて。きみなら簡単だろう」って。これですよ。ほんとだったら、私の性格では怒るんです。こういうこと言われるのは。でも、私、うれしかったの。うまく言えないんだけど、彼って「男と女はちがうんだ、ぬくぬくとした恋愛なんて無いんだ」ってことをすごく知ってて、知ってるうえでなんとか混合してみようとするシドロモドロが、何気ないひとことや、行動の随所にピカッピカッと現れて、それが、そのシドロモドロがたまらなく、なんていうか、そう、ありがとうって言いたいような気分にさせるの。代筆頼まれた時点でもう、私、彼に心を奪われてたんだと思う……。  レポートは、そのころもう私も一応、学生作家でしたからプロの面目にかけて最高の出来にしあげといてあげました。で、「代筆のお礼だ」って彼のバンドのコンサートの券買わされたの。こんなお礼ってないと思って、くやしいんだけど……うれしいわけよ。演奏も私はクラシック派なんだけど、すっごくインパクトがあって……とにかくインパクトがあった。「あふれる才能だわ」って、才能の正体というのが何なのかよくわからないのに、思った。  演奏会の帰り、セックスしました。ホテルに入る前に、彼は薬局で「コンドームください」と言ってコンドームを買ってくれて、それが、すっごくカッコよかった。そりゃもう、カッコよかった。ほんとは、私だって女性ですから、いくら気が強いからって半分は迷ってたんです。でも、彼がコンドームを買う、その行為ではっきりと惚《ほ》れてしまいました。で、まあ今はつきあってないわけだから、つきあってない原因があるんだけど、それは、彼の環境がその後急激に変わったことと、私のほうも仕事ひとすじ、って決意したことかな。それからです。彼が原さんとつきあったのは。私、気になって原さんという人のこと、見に行ったり調べたりしました。だって疎遠になったってもそこは女心だもん。当然でしょ。けれど、原さんは、原さんを選んだことでまたあらためて彼に惚れ直してしまったような人でした。フラれて気持ちが良かった。みごとに気持ちが良かった。こんなこと、フッた女に思わせる男って、そういないですよ。—————って感じの男性ですね。は? これ寓話《ぐうわ》ですよ、寓話。まさか、私が桑田くんとつきあってもらえたわけじゃない。話したこともないのに。この寓話書くだけでももったいなくて気がひけたのに。つまりそれくらい「イイ!」わけです。たぶん、男性から見ても。     *  この桑田くん評は「ダカーポ」の「桑田佳佑特集号」に掲載された。「ダカーポ」発売後、しばらくは留守電に同じようなメッセージが入っていた。「姫野さんが桑田くんとつき合ってたとは驚きです」「過激ファンからカミソリ送られないよう注意してください」「意外な過去にびっくりしました」等々。世の中、いかにあわて者の読者が多いかよくわかった。みんな、もっと精読しようね。 せ セロリをかじりながら  私がどうやって食べる金銭を得ているかというと、文章を書くことによって得ている。文章の内訳はおもに小説とエッセイである。  こういうことをしている人間は「自由業」と称されるが実質のところ「不自由業」である。大手ふっての休日がないのだ。 「ねえ、来週の土曜日、会わない? ケイコとかミッチとか、みんなですきやきしようって話になってるんだ」  などという電話が今週の水曜日の夜にかかってきても、 「すきやき食べたいけど、来週の土曜日がどうなるかわからない」  としか答えられないことが多い。机の前に八時間座っていたとしても必ず八時間分原稿が進んでくれるとは限らないからである。  仮に約束しても原稿が予定どおりに終わらなくて、当日になって会えなくなることがよくある。  そういうことが何回か重なると、自然と誘われなくなる。  そこで、自分から誘う。 「これから会おうよ。七時にハチ公前」  などと、当日の六時に電話をする。  すると、 「えーっ。そんな急な話、むりだよ」  と言われることが多い。  サラリーウーマン、サラリーマンにとってアフター5や休日は、もう、前々からしっかり予定をたてて臨むものらしい。  私と同じ自由業の人だと、タイミングさえ合えば、 「いいよー」  ということになるのだが、このタイミングがまず合わない。これは、ほんとに合わない。難しい。  すると、とどのつまりは、私は一人遊びをすることになる。  鼻高々に自慢するが、一人遊びにかけては大得意である。  なんといっても、一人っ子で預けられっ子で鍵《かぎ》っ子、であったというトリプルパワーに加え、AB型という根拠不明な要素でもって、一人遊びが大得意にならざるをえない生いたちであったのだ。  三、四歳のころはミッション系の保育園に通っていた。五時になると園児は家族の迎えによって帰宅する。私は預けられっ子なので七時くらいまで預けられ宅から引き取り人が来ず、一人で園に残っていなければならなかった。  一見、かわいそうっぽいのだが、当時は、 「そういうものだ」  と思っているので、少しも苦にならない。  滑り台を�シルバー王国の城�、ジャングルジムを�ゴールド王国の城�、だと空想する。砂場が�悪魔の砂漠�、礼拝堂の裏手にある木々の茂みが�妖精の森�。そうしてチャチな物語を空想して、一人で何役も何役も何役も何役も何役も何役も演じてセリフも発声して、なかなか愉《たの》しい時間であった。  この愉しみを覚えるとアルコール中毒よりタチが悪い。小学校へと上がってからはめでたく実家から通学するようになったものの、空想中毒から立ち直れず、下校時刻を過ぎても、よく一人で校内に居残り、物語を自作自演することに熱中していた。  グランドではなくて、内庭のほうが装飾物が多くて物語性に富んでいたので、 「どうせ誰も見ていない」  とタカをくくり、内庭にある噴水や百葉箱や校長の大事にしている植木などを悪人や王女や魔女に見立てて物語を展開させていた。  ところが、当の校長に見られてしまった。内庭は校長室の、目立たないほうの窓(人々が校長室の窓、と言われて連想するほうの窓ではない窓)から丸見えなのだった。  校長は、 「ややっ、不審な小学生め」  と思ったのか、私の担任を呼んで、内庭に長々と居残っている私の姿を校長室の窓から見せた。担任も不審に思ったらしい。  私の両親は学校から呼び出しを受けた。なにせ私は幼児のころから妙にソツのない、温厚な優等生を演じられるという実にいやな二枚舌性格者だったため、両親としてはおそれおおくも学校から「呼び出し」を受けるなどとは青天の霹靂《へきれき》。  何をしでかしてくれた、と血相を変えて来たところ、 「お宅のお子さんは、石や木に向かってさかんに話しかけておられるが、ご家庭でもそのような自閉症的症状がおありになりますか」  というような主旨の、彼らにとってみれば予想だにせぬ質問を受けた。  彼ら両親は両親で、私が自分の家の風紀としてのイメージ・ダウンになることさえしてくれなければそれでいい、という横繋《よこつな》がりの皆無な男女であったから、 「なんだ、そんなことか」  とホッと胸をなでおろし、 「さあ、知りません。一人っ子で内気な子ですから」  と、はたしてこんな説明で校長および担任に通じるのかと疑わしい説明をした。  校長と担任がどういう反応をするのだろうか、と私のほうこそ不審に思ったが、 「ああ、なるほど、一人っ子さんですか。それでしたら……」  と、校長、担任ともども納得した顔になっている。  一人っ子だから、というのが、こんなに簡潔な理由づけになることをこのとき私は学んだ。  しかし、その夜、二人は私をひどく叱った。 「不健全なことをするでない」  とか、 「あなたには子供らしい明るいところがない。暗いかんじの子供は先生から好かれないわよ」  とか、 「先生から好かれないと成績もソンをするんだ」  とか、 「スポーツをして子供らしい健康的な遊びをするのだ」  とか言われた記憶がある。  なぜここまで叱られなくてはならないのかまったくわからなかったが、 「はい。以後、気をつけます」  と殊勝に答えながら内心父母のことを、 「ヘンな人々だ」  と、思っていた私は、やっぱり、憎たらしいガキだったと思う。  今になって、この憎たらしさぶりの言いわけをさせてもらえば、父はB型、母はA型。O因子を持たぬAB型は世界的規模で見ても少数派。少数派は自ら自己防衛手段を獲得するものなのだ。  とにかく、それからは、両親の教えに従ってスポーツに励むことになった。  スイミング教室やドッジボール、サッカーなどを同級生と行う。だが、同級生は鍵《かぎ》っ子ではないので、ある時刻が来ると家に帰ってしまう。  すると、結局、私は、一人ピンポン、一人サッカー、一人バレーボール、一人キャッチボールをすることになり、結局、空想物語のバリエーションが「王女様もの」から「スポ根もの」までと幅を広げただけだった。  三つ子の魂百までというが、私は今でも自分が、十字架のある庭で一人で時間をつぶしていたころとさして変化していないように思われてならない。  成長のなさに我ながら情けなくなるくらいに、あのころとほとんど変化のない一人遊びをしている。  成長したと言えば、その物語のディテールやボキャブラリーにおいてくらいではないだろうか。  たとえば、駅のホームで美人とすれちがったりすると、自室に戻って来てから彼女のことを思い出したりする。 「三連休だというのにあんな駅でボンヤリと座っているとは、いったいどういう美人であろうか」  と、気にひっかかったのがもとで。  ベッドのはしに腰かけ、思い出し続けるうち、 「不倫の恋のゆくえを憂う美女だったのかもしれない」  と、ごく平凡な発想をする。 「相手は実の姉のフィアンセなのかもしれない」  と、平凡な発想のまま、空想が続く。なんといっても平凡なラブ・ロマンスというのが私は大好きである。何よりも好きである。  一人っ子で預けられっ子で鍵っ子でAB型なのよっ、とさんざんいばったくせに、しょせんは平凡な女なのだった。  ただ、発想は平凡なのだが、彼女の姉と、姉のフィアンセ、フィアンセの親友などの顔と体、住んでいる家の間取り、ソファの色とデザイン、壁の模様、床板の材質、カーテンの布の質感……等々が目の前にありありと見えてきて、そのなかで物語が進んでゆくのが見えてきて、音楽も聞こえてきて、匂いもして、味もして、ラブ・シーンなんか肉と汗と吐息まで感じられるところまで空想訓練に励んできている。  だから、¥0で3D映画を楽しめる。七時間は一挙に楽しめる。おトクかもしれない。人が多くて待たされてばかりの場所で無駄金を使う遊びよりは。 そ ソーセージ  童謡「ひなまつり」。♪灯りをつけましょ、ぼんぼりに〜♪ というあの歌。あの歌を部屋でひとり歌ってみると、♪きょ〜おは楽しい♪ という歌詞にもかかわらず、なんともさびしい曲調であることに、あらためて気づく。  三月三日を過ぎても雛《ひな》人形を飾ったままにしておくとその家の娘はお嫁にいけなくなる、と言われている。  うちの母親はその言い伝えを知らなかったのか、それとも、忙しくて片づけている暇がなかったのか、五月ぐらいまで毎年雛人形が飾りっぱなしになっていた。そのため、言い伝えは効いたのなんのって効きすぎて、目下本当に困っている姫野です。  お嫁にいくどころか、セックスもできない。なぜできないかというと、それは簡単です。相手がいないから。シクシク。私、姫野なのにー。姫野ハジメコっていうペンネームにすればよかった。  でもね、セックスはしないけどファックスはよくする。  そんで、ファックスの普及のせいで遠出することがほとんどなくなってしまって、男性と知り合うチャンスも前にもまして激減してますますセックスはできなくなり、セとファのちがいだけなのに、なんていうちがいざんしょ。ミとファのちがいどころじゃござんせん。 「嘘《うそ》だろう?」  ニヤニヤして無責任にこう言う人いるけどね、頭にくる。私はねえ、年がら年中、日がな一日、机に向かって仕事してんのよ。9to5の職種じゃないの。24時間労働なの。んでもって文章書くのって、ちっとも儲《もう》からないんだよ、みんな知ってんの? 儲かってるのはごく限られた人たちだけで、私なんて年収二百万ちょっとしかなくてこんなにこんなにこんなに働いてるのにどーしてどーしてどーしてーえええ!?  ってわめきたくなるくらい儲からないんだから。  部屋から出るのは、仕事を続けるための体力維持にスポーツクラブでトレーニングにはげむか日用品の買い物に出るくらい。こんなんじゃ、どこでどーやって恋人作れってのよ。どーやって。んとにもう、いったい、どこの誰が、やれアルマーニだやれBMWだやれペニンシュラだなんてゼータクノンキなことしてられんのよオ。恋人にするなら三高だって。ザケんじゃねえよ。なーにが三高だよ。三高ってのはなあ、旧制京都帝大進学高校のことだ、プンプン。  かの林真理子さんは「結婚したい」っておっしゃっていて、それで結婚なさって記者会見なさったけど、こーなったらね、私、セックスしたあかつきには記者会見してやる! って勝手に決心してても私がセックスしたからって、誰も記者会見してくれるわけないけど。  あのね、怪人黒マント、ってのがいるんだって。黒マントはみんなが十歳から十二歳のころにそっとやって来るんだって。そして願い事をきいてくれるんだって。そのとき、ふと「ソーセージが食べたい」なんて願った人はソーセージに縁のある人生を送ったりしちゃうの。願い事をした直後に、みんな黒マントのことを忘れてしまうから願い事したことも覚えてないんだって。  でも、私は黒マントが来たときのことよく覚えてる。小五の早春の夜に来た。当時、少女漫画に夢中で、漫画家がよくコマのすみっこなんかに「締切りがこわーい」っていたずら書きしてるのを見てて、それが小学生にはすっごくかっこよく思えて、黒マントにふとつぶやいてしまったの。 「締切りがこわーい、って生活がしてみたい」  って。それから、親戚の人がくれた長崎みやげの修道女の人形が綺麗《きれい》で好きだったから、つづけてつぶやいたの。 「尼さんにもなりたいなあ」って。  ほんとよ。ほんとに黒マントは願いをかなえてくれたわ。  締切りに追われる生活。尼さんのような、巫女のような禁欲生活。姫野ミコ、って名前に変えたいくらい。こんなにみごとにかなえてもらって、もう、うれしくてうれしくて泣いてます。ありがとう。ありがとう。黒マントさま。うっうっうっ(泣いてる)。あの夜、あなたに会ったとき、どうしてせめて「王子様とお城でソーセージを食べる」くらいのことをつぶやかなかったのかと、泣きながら後悔してます。 た タマゴ  テレビに香港の街頭が映っていた。横山ノックの大きな写真を香港の女の子に示し、 「この人は何をしている人だと思いますか?」  という質問をしたところ、彼女は日本語で答えた。 「タァマァゴ」  あの、広東《カントン》語系特有の少し鼻にかかったどことなくぶっきらぼうでいてキュートなアクセントを残しながら。 「タマゴ? 卵ですか?」  質問者は笑っていた。日本国内でのスタジオで横山ノックも笑っていた。私も笑った。  その横山ノックを、数日後、私はまたテレビで見た。上岡龍太郎と紳助がやっている番組である。『究極の選択』コーナー。  このコーナーを御存知ない方のために説明すると、毎回ゲストが出る(例・西川のりお)。著名な男性の名前のボードが何枚も掲示されている。 「そのゲストと他の男性とのどちらに抱かれたいか」  という質問を街頭インタビューで行った結果を上岡と紳助が当てるというもの。比較男性ボードにはそれぞれ倍率がついていて、まあ、トム・クルーズとかそおゆう人は倍率が低いわけで、街頭の女の子がトム・クルーズよりもゲストを選んだ場合いっきに点が稼げるしくみになっている。そして、そおゆう人の名前のボードは上のほうにあり、下のほうには倍率が高い穴場の人群である。 「穴場倍率の人群」に選ばれている常連は、せんだみつお、稲川淳二である。私にはなぜ彼らがそんな倍率が低くて吉田栄作みたいなカッコ悪い男の倍率が高いのかよくわからない。 「そういうものなのかなあ」  と、いつも自分に言い聞かせていた。  だが、この日の『究極の選択』には我が目を疑ってブラウン管にかじりついてしまった。  オール巨人の名前のボードが渥美清とゴルバチョフのボードと同列位置にあるではないか。倍率3の位置である。 「ヘンだ。スタッフのミスではないか? オール阪神のほうと間違えてるのでは?」  と思った。  渥美清もゴルビーもたしかに、魅力のある男にはちがいないが、こういうコーナーで上位位置に名前ボードがくるタイプではない。彼らの位置が倍率3というのは妥当だが、オール巨人はどう考えても倍率1に名前がくる人だ。 「ではトップは誰がいるのだ?」  と見れば、緒形直人ではないか。  バカな。あんなぐにゃぐにゃした骨抜き野郎が倍率1で、なんでオール巨人が3なのだ。  そのうえ、明石家さんまが堂々と緒形直人と並んでいる。それならトップはこの二人に並んで文字どおりコロンビア・トップが並んだっていい。 「ヘンだ。ぜったいスタッフのミスだ。抗議の電話なるものをかけてやる」とまで思った。  何を隠そう何も隠しはしない。私の憧れの男性こそオール巨人なのだ。  オール巨人……。ああ、すてきだ。あんなにハンサムな男性は日本には他には岡田真澄か田宮二郎か赤木圭一郎かしかいない。田宮二郎と赤木圭一郎はもう死んでいるから、よって、オール巨人と並ぶハンサムは現在岡田真澄だけだ。  老中がこの二人としたら筆頭若年寄格で迫れるのは宮川大助と旭道山くらいなものだ。  ああ、オール巨人。すてきだ。全国的にはまだそれほど有名ではなかったころ(吉本内ではともかく)はじめてテレビで彼を見た日のことを私はよくおぼえている。  彼は微笑した。その微笑。少しはにかんだようなその微笑。初夏の陽光がアカシアの葉と葉のあいだから洩《も》れるような微笑だった。 「この人はトップ・スターになる!」  予言めいたことすら感じた。  あの顎《あご》、あの骨格、あの肩、どれもみな、乙女が夢の中で見るさわやかな形状をしている。  恋に恋する乙女が干し草の寝床でまどろむときに夢の中に出てくる未だ見ぬ騎士こそオール巨人である。  それがタマゴと比較して倍率3なのはおかしい。タマゴもいい人だとは思うけど……。  でも、オール巨人ってB型なんだよね。それが倍率3になった決定項だな、きっと。  B型にはもう、こんりんざい! かかわりたくないっ。詳細は〔て〕天丼の項をお読みくださいね。 ち チョコレート  私が小六くらいのころからだった。バレンタイン・デー、というものが東洋の島国日本で有名になりはじめたのは。  セント・バレンタインという僧侶《そうりよ》の命日が起源だと、何かで読んだ記憶があるが、とにかく、日本では「バレンタイン・デー=好きな男の子に女の子のほうからチョコレートを贈る日」と定まってしまった。  チョコレート屋の商業戦略だと言って、こういうイベントにハナから怒る人がいるが、私は怒らない。  最近は十月のハロウィーンも普及度がアップしてよかったと私なんかは思う。  べつにハロウィーンだからって自分がどうこうするわけじゃないのだけれど、イベントがあると街がにぎやかになってなんだか気分が楽しい。  日本人はなかなか遊べない性質の国民なので、企業に策略されてでもいいから、こうして遊びのお膳立てをしてもらわないと苦しいんじゃないかなあ。  だから、豆屋も負けずに「節分は接吻《せつぷん》デー」とかコピー作って節分をもっと生かせばいいのに。節分は扱う商品が豆なんだから、ひろくカップルにターゲットを当てた商業戦略がいくらでもできるだろうにもったいない。  煎餅屋《せんべいや》だって負けてないで雛祭《ひなまつり》にアラレ戦法でいく。雛祭は「雛アラレを食べてアラレもない姿になる日」と、もう勝手に定めてしまう。  五月五日なんか、魚屋協会とレコード会社とのジョイント商法でもっと儲《もう》けられる。「タンゴを流して情熱的なコイに落ちよう」。コピーも簡単に作れる。  恋愛プラス商品、これは飽和経済での商いの基本である。  この調子で年中イベントがあることにすればいい。  ▼六月六日=シェルブール・デー=雨傘を恋人に贈る日。  ▼八月八日=サンフラワー・デー=ひまわりを恋人に贈る日。  ▼九月九日=菊の節句=アナル・セックスをする日。  ▼十月十日=体育の日だけど、野坂昭如さんの誕生日でもあるので、ウイスキーを恋人に贈る日とか。  ▼十一月十一日=良い案が思いつかないのでいっそ、ミステリー・デー=恋人と「探偵と犯人ごっこ」をする日。萩原朔太郎の有名な詩にも「霜月はじめのある朝、探偵は玻璃《はり》の衣装を着て」というのがある。でも、グッズとしては何を売りゃいいんだろうか、おもちゃのピストルか。ソフトSM具セット、というのもイケる線かもしれない。  十二月と一月はすでにクリスマスと忘年会とお正月に新年宴会があってイベントは満杯になっている。  というわけで、七月が抜けてたけど、七月七日の七夕は気象庁もコンペイ糖売るくらいの商人根性を持っていいんじゃないか。  七夕、と言うから売れない。ベガ・デー、などとネーミングを変えれば売れたりする。コンペイ糖だってベガ・キャンディーにすりゃいい。  ヘンだよね、そりゃ。せっかくのコンペイ糖がまずくなったみたいな気がするけど、でも「売る」とか「売れる」ってことの基本ってこういう理不尽さが多分に含まれているんだと思う。  でなかったら、私の本はもっと売れたはずだわっ。  軽くする。  これが結局、強いんだよね。商売でも、そして、きっと恋愛でも。  重く愛したり愛されたりするのが男の人は嫌いなんじゃないかと思う。  軽い女って、悪い言葉として流布してるようだけど、ほんとは男性って女の人に軽くいてくれることを望んでるよね。 「姫野さん、もっと軽いかんじでいれば男の人に好かれるのに」  よくアドバイスを受ける。  バカめ。それができないから好かれないんじゃない。できるんならさっさと最初からそうしてる、っての。それは難しいことなんだから。それをやってのける女が「自然体っていうのかナ、彼女はいつも」などと評されてモテるんだから。軽さのお膳立なんだよ、それは。  でも、来年のバレンタイン・デーには極力努力して軽々しくチョコレート渡そうっと。  なお、最後まで商人しますが、今回の文中で発案したイベントコピーをコミック・ソング化するって案はどうでしょうかね。乗る会社があったらぜひ角川書店経由で私に電話してください。待ってま〜す。 つ 慎しむべき料理  ここで一大決心をして衝撃の告白をする。  長い長い長い長い長い長い長いあいだ、ひた隠しに隠してきたことを告白する。  じつは私は————。書きかけてもまだ迷う。このことを告白することはとても恥ずかしいことなのだ。私は、野坂昭如氏|曰《いわ》く「モーロー体の女流エッセイがのさばっている」時流に便乗している一人であるが、このことが恥ずかしいことだということをわかるていどの羞恥《しゆうち》の知は持っている。だから恥ずかしい。  じつは私は————、料理をするっ。魚もおろせる。料理が好きだっ。ぴゅーっ。  ぴゅーっ、というのは走って逃げた音。  走って逃げてから、電話がかかってきたと思って聞いてください。電話の向こうで話し手が真っ赤な顔をしているのを想像しながら。  私は「料理が好きです」と人前で女性が発言することほどいやらしくてはしたないことはないと思っていた。いる。  もちろん、ここでいう「発言」とは、女性の料理の先生や女性の料理屋経営者などの専門家やあるいは準専門家の「発言」ではない。また『○○草でいきいきやせた』とか『野菜大好き人間のおいしい工夫料理』とか『働く女性のための短い時間でできる献立』とかいった本の中での「発言」でもない。  日常生活で、なにげなく、そよ風のような雰囲気で、 「私、料理がとっても好きなんですよ」  と、自己紹介するような「発言」である。  この「発言」ほど、不潔で卑怯《ひきよう》でネチネチしてて計算高いくせに計算しているようには見せない狡猾《こうかつ》な行為はない。  フェミニズム論争があちこちで盛んだが、論争とはべつに事実として、料理をする女性=好ましい、という感覚が日本にはある(他の国で暮らした経験がないので他の国についてはよくわからない)。その事実を巧妙に利用し、なおかつ巧妙に利用したようには感じさせない不潔さと卑怯さとネチネチさと計算高さと狡猾さがあるように思われてならないのだ。「私、料理がとっても好きなんですよ」という発言には。  料理をすることが、ではない。発言が、である。  料理が好きな者は好きに料理していればいいのである。キャンプや合宿では得意分担として静かに料理すればいいのだし、その料理者がもし「恋人に食べてもらうのが幸せ」と感じる感覚の持ち主であるなら好きなだけ恋人に食べてもらえばいいのである。  ただし、それは、二人の間で行うことであって、それも二人の間が親しくなってから行うことであって、親しくなりもしないしょっぱなの段階から、 「私、料理がとっても好きなんですよ」  などと微笑《ほほえ》んで発言するのはスカートをちらちらまくって見せるのと同じことだ。 「おかしいわ。もっと素直に自然体で考えればいいじゃないの。料理が好きだから好きだって言ってるだけよ」  こんな反論をする女性もいるだろう。こんな反論をする女性こそが当の、 「私、料理がとっても好きなんですよ」  と堂々と発言するヤツであり、 「そうだよ、料理が好きだって言うことが不潔だなんてちょっと考えすぎだよ」  と反論する男性こそが、 「私、料理がとっても好きなんですよ」  と発言するヤツの小手先マジックにまんまとひっかかって後で泣きを見つつもしかたなく町内会で行った温泉旅行で買春をして病気をもらってよけいに泣きを見るヤツである。  そう思って私は、料理なんて大嫌い、という雰囲気作りを懸命になって今日までやってきた。  だが、鬼婆の面をかぶって嫁を脅かしていた 姑《しゆうとめ》が面をとろうとしたらとれなくなって本当に鬼婆になってしまった映画のように、こんな雰囲気作りを長いあいだ続けていたらとうとうこの雰囲気がどうしてもとれなくなってしまった。このままでは本当に料理ができなくなると心配になり一大決心をした次第である。 て 天 丼  安物の天丼は小指くらいのエビにうんとこさコロモをつけて大きく見せかけてある。  安物のエッセンスに吉行淳之介氏の文体コロモをおそれ多くもお借りしてくるとどうなるだろう。おそれ多い実験。文体パロディ・シリーズその一。     *  その駅は住宅街にある。高架線になっていて、ホームから見下ろすかたちで細い道が見えた。  春の平日の午後、舗装された細いアスファルトの道は灰白色に光を反射させている。  姫野は矩形《くけい》の鞄《かばん》を膝《ひざ》の上に置き、ホームのベンチから風景を眺《なが》めていた。  ホームの長さに沿って家屋が四、五軒並んでいる。家屋と家屋のあいだに、一箇所ざっくりと切り取ったような緑色の部分がある。  空き地であった。有刺鉄線で囲まれたその空間には雑草が茂り、周囲の色彩とは不釣り合いな緑色を呈しているのだ。  不意に姫野は自分を形成する細胞のひとつひとつが漿液《しようえき》で膨張しはじめるように感じた。  膝の上の矩形の鞄が重みを増し、鞄の堅固な把手《とつて》を握る。手が汗ばんでいた。 「早く捨てなければならない」  姫野は鞄を捨てるために駅で電車を待っているのだった。電車の中に鞄を置き忘れる魂胆だった。  だが、朝早くから鞄を捨てるためだけに私鉄電車に乗り、もう何駅も通過しているというのにどうしても鞄を置いたままにはできず、こうして見知らぬ駅に降り、ベンチに座っている。  鞄の中には名詞にすればさまざまな物が入っていた。ハンカチ、櫛《くし》、ライター、イヤリング、時計、万年筆、写真、ブローチ、人形、缶、ナイフ、鏡、手紙である。  それらは皆、それぞれに男と関係のある物であった。端的に言えば、姫野が好きになった男との何らかの思い出の品なのである。歴然たる贈り物もあったが単に忘れ物もある。二人でどこかへ行った折に知らぬ間に持ち帰ったような物もある。十三個分、十三人分の思い出が鞄の中に入っているわけだ。  そして十三回分の姫野の恋心はどれも皆、実らなかった。どれも皆。どれも皆、食事や電話やテーブルの段階で終了していた。二度だけ、テーブルを越え手や顔の段階までのものがあるが、所詮《しよせん》は手や顔である。  だからこそ、長い年月のうちに集積されてゆく思い出は病的なものにならず姫野の鞄の中に収まっていったともいえる。終了はいつも姫野のほうからではなく、相手のほうから告げられる悲しさを含んでいたが、同時に明るみも含んでいた。  鞄を捨てようと姫野が思ったのは十三人が全員、ある共通する要素を持っていることに気づいたからである。  男たちは全員B型だったのだ。それが姫野を慄然《りつぜん》とさせた。 「B型にかかずらわっている限り永遠に出口は見いだせない」  これがA型というのであれば、確率統計上、妙には感じなかったかもしれない。日本人にはわずか二割、内、女が半分として、わずか一割のB型の男に遭遇し恋するということが姫野を慄然とさせた。  都会の灰白色の中にざっくりと切りとられたような鮮やかな緑色の空き地。陽光を浴びた緑色の部分は姫野の眼に、陰画紙を見るときのような不気味な感触を与えた。 「鞄を捨てよう」  姫野は思い、力強くベンチを立ち上がった。だが、彼女が過去の十三人以上に敬愛してやまなかった吉行淳之介こそB型である。     *  ほんとに何故か私が好きになるのはB型だった(つまりB型ばかりからフラれたわけだ)。好きになる芸能人までB型なのだ。憧《あこが》れの人と公言するオール巨人もファンクラブに入っていた矢沢永吉も、古尾谷雅人も三宅裕司も、B型である。憧れの樋口可南子さんもりえチャンもB型。手塚治虫先生までB型である。調べようがないがミッシェル・ポルナレフもきっとB型に相違ないとほとんど確信している。  後日談(文庫版オリジナル) 「血液型判断なんてあたるわけない」  この意見は妥当だし、人の性格を決定するのは環境だと、私も思う。しかし、ここまでB型が並び、ここまでB型にフラれると、最近ではB型男と聞いただけで、ぎゃーっと叫んで逃げてしまう。  もういやだ。もう、B型はいやだ。ノーモアB型。幸せなロマンスの訪れは、B型を絶対回避する行為からスタートするのだ。  私は徹底的にB型を回避した。「血液型なんて……」と、周囲からあきれられながらも回避した。すると、どうだろう。私の精神は穏やかになり、ファンレターが増え、口内炎がなおり、福引で時計が当たった。文庫化にあたり、今をときめくミュージシャンの大槻ケンヂさんが解説を引き受けてくださるという光栄にもあずかった。ああ、うれしい。私は頬をバラ色にして大槻さんの写真をながめた。ながめて、写真の下のプロフィールを読んだ。「大槻ケンヂ・一九六六年二月六日生まれ。血液型B型……」。  !  そんな!  そんな、そんな、ヒドイ! むごい! あんまりだ。 と 豆 乳  牛乳より豆乳を、よく飲む。  パック容器に入って売られているものではなく、豆腐屋の豆乳を飲む。 「ゲー。あれって飲みづらいじゃない。わたしはキライだわ」  と返す人が多い。 「飲みづらい? そうかなあ」 「まあ、各人の好みだろうけど、わたしはさっぱりしてる味が好きだからね」 「さっぱり、ね……」  さっぱり。この語はクセモノである。さっぱり。近年、食べ物の味を表現するのに頻繁にこの語が用いられる。さっぱり。いったいなにをもってさっぱりだというのか? 私には牛乳がこってりしているように感じられ、豆乳はさっぱりしているように感じられるのだ。  二十人くらいのパーティがあった。テープルに何品かの料理が並ぶなかに、いわしのすり身をダンゴにしてだし汁で煮たものを生の紫蘇に巻いて楊枝でとめた料理があった。私はそれを、さっぱりしている、と感じた。だが、他の大勢は、タマネギとボンレスハムの塩味のやきそばを、 「あら、これ、さっぱりしてておいしい」  と、さかんに評する。 「?」  どこが?  わたしには、その料理は、しつこくて油っこくてたまらず、 「すみません。お酢をください」  と、言いたくなるのだ。(はまちも、酢醤油+ワサビで食べる)  言いたくなるが、あまりに皆が、 「おいしい〜」 「ふわ〜っとした味のするやきそばね」 「素朴な味」  などと言っているので、黙っていた。  で、いきなり話が飛躍するのだけれど、私は高円寺と阿佐ヶ谷と荻窪が嫌いである。ああ、こんなこと言って、名指しで特定の町を挙げて、なんと反感を買うことだろう。しかし、どうにもしようがない。 「俺《おれ》たちだって、おまえなんか嫌いだよ」  と、言われてもしかたがない。嫌いだ。  もちろん、中央線のこの地に長く住んでおられる方や、現在、住んでおられる方には何の恨みもないし、彼らがこの地を愛する気持ちに反論を唱えたいわけでもなんでもない。私はこの地のほんの上っつらだけしか知らずに浅薄な感情論を吐いているだけだ。わずか一年半ほど、高円寺と荻窪に住んでいただけの体験から出た印象にすぎない。ほんとうに無礼なことを言っていると思う。でも、いやだったのだ。  なんでもかんでもよくおぼえている私だがこの一年半のあいだのことは、ふっと頭に浮かんでもシャーッと記憶シュレッダーが作動してしまうほど、いやだった。  街を歩くとき、住人がスクラムを組んでいるような、オッス、とか、よお、元気か、と声をかけあっているようなかんじが、私をたまらなく息苦しくさせた。  今、この文章を書くにあたり、あえて記憶シュレッダーをOFFにして思い出すだけで室内の酸素が足りないような気分になってくる。  これは「地下にある、狭い、壁に客の落書きがいっぱいしてある、センベイくらいしかつまみのない店」に入ったときの気分と酷似している(こういう店がまた中央線には多い)。こういう店を思い出すだけで、私は、今、肩で呼吸をしなくてはならない。  ここまで嫌悪するのは、まぎれもなく、私の内部に、この地やこういう店の空気と同種のものが存在しているからだと思う。  どういう空気か? それはニッポン人の定番の表現となった「ふるさとのぬくもり」というヤツと同じヤツである。八つ墓村の空気と同じヤツなのだ。背中から抱きつき、乳房をわし掴《づか》みにして、 「離さないよ。おまえは『家』のしがらみからは決して逃れられないんだよ。おまえは八つ墓村の掟《おきて》と因習からは逃れられないんだよ、なぜって、おまえには八つ墓の血が流れているんだからね、きききき」  と、低い声を耳に流しこむ妖怪のような空気。 「助けて、助けて……」  かすれた声で私は叫び、呼吸困難に陥る。タマネギとボンレスハムの塩味のやきそばを、 「さっぱりしている」 「ふわ〜っとした素朴な味」  だと感じる人に、これっぽっちも異論を唱える気はない。牛乳より豆乳が飲みづらいと思う人も大勢いるだろう。  だが。ならば。ならば、私のように感じる者もいるのだと、私は口には出さずに黙ってやきそばに酢をかける。  さっぱりしたところのまったくない性格ゆえに、せめてさっぱりしたところに住んでいないとペニシリンになってしまう。 な ナスビ  私の育った地方では、ナスビのことを「おナス」と呼ぶ。カボチャは「おカボ」、枕《まくら》も「おまく」であり、卵は「おタマさん」である。  で、ナスビ=茄子《なす》であるが、これにはひとかたならぬ思い出がある。  それは性にめざめるころであった。めざめる、というよりは、もうちょっと発育していたかもしれない。性をはっきりと意識するころ、のほうがいいかな。十五歳。セーラー服に身をつつむ、まばゆいばかりに美しく、もなかったけど、たしかにセーラー服は着ていたころのことだ。 「ふふふ。セーラー服の少女の茄子の思い出といえば……」  と、ここまで読んで、ありがちな想像した人も、もしかしたらいらっしゃるやもしれぬが、申し訳ないけど、そういう思い出ではない。  でも、エッチな思い出であることはたしかである。  私は早熟であった。しかし古い因習と迷信としきたりと掟《おきて》としがらみと蛙《かえる》と田んぼにあふれて窒息しそうな田舎に住んでいたので、実体験、というものが極度に遅れていた。恋愛の実技訓練というものをする機会がまったくなかった。  因習としがらみの田舎の未成年男女においては、交換日記が二人のゴールインであった。本当である。人口十万人以上の都会で育った人は戦前の話かと思うかもしれないが、りっぱに戦後も戦後、一九七五年くらいでも未成年男女のゴールインは交換日記だったのである。  この環境で頭だけがマセると周囲の男子生徒はあまり目に人らなくなる。男に見えないのだ。かといって、たとえばステキな男性教師とかステキな文房具屋の店員とかもいない。なぜならステキな男性は皆、必死の思いで田舎を脱出していくから周囲にはロクでもない男とジジイとガキしか残らないのである。  実技をともなった恋愛願望エキスをそそぐ対象が見つからないので、とりあえず歌手とかタカラヅカとか俳優とかそういう別世界の人に思い切り情熱をそそぐことになる。  情熱をそそいだ人の中に一人フランス人の歌手がいた。  相手が歌手だからといっても光ゲンジのファンのようにオープンなファン活動をしていたわけではなくて、何といえばいいのか、どことなく淫靡《いんび》な心理で好きだった。  性を具体的に意識しはじめる年頃のムスメを淫靡な興奮にかきたてるような歌手だった。  彼の歌に『ジョブ』という歌があった。 「彼女はいつも茄子色のジーンズをはいている」  という歌詞ではじまる。  茄子色、というのがものすごく新鮮に思われた。  紺色でもなく紫色でもなく、茄子色。  新鮮だった。  フランス語も新鮮だった。  ふんふん、と思いながら歌詞カードを読み読み歌を聴く。 「ぼくは毎日仕事(ジョブ)を探す。ジョブ、ジョブ」  軽快なリズムに乗って歌われてゆく。 「仕事を探す。彼女にドレスを買ってやるために。ジョブ、ジョブ」  と、つづき、 「仕事を探す。いつかそのドレスを脱がせるために」  と、つづく。これにノックアウトされた。  繰り返すが、早熟であった。激しいセックス・シーンのある小説などはすでにいくつも読んでいた。それはそれでインパクトはあったのだけれど、そういう小説の中に頻繁《ひんぱん》に出てくる「濡《ぬ》れる」という感覚が実感としてはわからなかった。この歌を聴いて(歌詞カードを読んで)はじめて実感した。  だってー!、だって、だってエッチだよねーっ、この歌。過激な表現はなんにもないのに、いきなり乙女をひるませる、っていうかさあ。フェイント攻撃っていうか、ま、妥当な形容をすりゃ、 「しゃれた言い回し」  ってことにもなるんだけどさ。  アア、やっぱりフランスはエスプリの国なんだなあ、と妙に感心するじゃない?  以来、私は「言葉こそ最大のエロスである」と公言するようになったのだが、インタビューなんかでこう言うと「なるほど、オマンコ、とか言われるとゾクゾクするタイプですね」などとエスプリのない早合点をする男性が多いのでつくづく憂国してしまう次第である。 に ニンジン  大学生のころ、映画の手伝いをした。二本、手伝った。  なぜ、手伝うことになったのかというと、道を歩いていて、 「手伝って」と言われたから手伝った。  手伝った映画の題名を一所懸命思い出そうとするのだが、どうしても思い出せない。  最初の一本はにっかつ映画だった。にっかつが気鋭のニューウエーブな新人監督を何人か輩出していたころのことだ。私が手伝いをした作品も『ぴあ』だか『シティロード』かで「まるでフランス映画のようなロマンチシズムがある」と賞賛を受けた。それなのになぜ題名を思い出せないのだろう。  で、そのフランス映画っぽいにっかつ作品において私が何を手伝ったかというと、彫刻を手伝った。家出少女がアウトローな男と知り合い、一流の娼婦《しようふ》になり、やがてアウトローな男は喀血《かつけつ》しながら波止場で死ぬという、ほんとにフランス映画のような物語である。  男は少女を一流の娼婦にしたてあげるためにニンジンで張り型を作って調教する。小型からはじまって中型、大型、特大とニンジンのサイズがアップする。  そのニンジンの張り型彫刻を私は担当した。  スタッフが駅前の八百屋でニンジンを一袋買い、私に渡した。 「じゃ、明日の正午までに作っておいてね。四サイズ」  私は男性性器というものを見たことがなかったので見本を要求した。ああ、そうだね、と言って彼がその場でファスナーを下げて見せてくれたというようなことは、もちろんなくて、 「見本はこれだよ」  と、もう一つ袋を渡してくれた。袋には電動式のバイブが入っていた。私はバイブを見て驚いた。 「こんな複雑な彫刻は無理です」  バイブは熊の親子のようなデザインがほどこされた物だった。 「熊は彫らなくていいんだよ、熊は。全体的な形でいいんだ」 「なるほど」  私は部屋で一人、コツコツとニンジンを彫った。簡単にできると思ってたのは誤算だった。難しい。粘土と違って彫り間違いが許されないのだ。しかも、同じ形で小、中、大、特大、とサイズを豊富にそろえなくてはならない。徹夜した。掌《てのひら》や爪《つめ》のあいだはもうニンジン色に染まっていた。 「よくやった。見事な出来だ」  褒《ほ》められた。うれしかった。 「お礼に映画にもちょっと出してあげようね」  ということになり、レストランの客の役で出た。  そのころはホーム・ビデオなんて普及してなかったから、私は自分が動く姿を見られるのが楽しみだった。試写会では今か今かとわくわくしながら自分の出演場面を待っていた。  しかし、スクリーンに映った自分の姿は文字どおり「ただのレストランの客の役」といった感じでしかなく、本人でも目をこらして見ていないとわからないものだった。かわりに、本人の「作品」のほうは、見事な出来と褒められただけあってアップで出ずっぱりだったが。 「今度はセリフのある役で出たいー」  私はスタッフに言った。ニンジンに彫刻をしたくらいで図に乗ってセリフのある役を希望したり、ものごとの公私をファジーにしたり、学生ならではの暢気《のんき》さである。  それでも、ひょんなことからセリフのある役がまわってきた。  それが、二本のうちのもう一本である。にっかつ映画ではなかった。カタカナの会社名の映画で、やはり成人映画だった。どういうストーリーなのか台本をもらわなかったのでわからない。ヒロインはクラブのママという設定で、ウエイターの役の俳優が急病で出演できなくなった。それで私がウエイトレスとして出ることになった。  セリフは今もよく覚えている。 「こわいわよー。うちのママ、怒ると本気になってつねるんだから」  と、グラスを洗いながら喋《しやべ》る。だが、アフレコ日と大学の試験が重なって私は参加できず、違う女性の声が入ったはずである。この映画は公開されたのだろうか、私は見ていない。ともかく、ニンジンを見ると映画の手伝いのことをほのぼのと思い出す。 ぬ ヌカミソ  相原 勇。イカ天でアシストしていた相原 勇。 「あいはら………ゆ………う………」  部屋で一人、彼女の名を小さくつぶやく。  窓には霧のような春の雨がつたい、エニシダの葉はほろほろと雨の雫《しずく》にゆれている。 「あいは………ら………」  もう一度つぶやこうとしても、もうつぶやけはしない。  塩気をおびた液体の、それを人は涙と呼ぶのだろうか、その液体のかたまりが喉《のど》につかえて、私はつぶやき声すら出せなくなる。  相原 勇。その名はいつも私を孤独の淵《ふち》へと追いやる。  芸能界にいる相原 勇本人に対しては何を思うわけでもない。プロダクションが決定した「元気路線」をまじめに遂行しているけなげな一タレントなんだろう。ここは誤解しないでいただきたい。  相原 勇タイプ、というものに対して私はひどく脅えるのだ。  ジーンズにスニーカーをはき、こざっぱりと切った髪。血管の透けない均等な色みの肌にごく薄い化粧。あははは、と明るく笑い、大勢で食事するときは「サラダとったげるねー」と気くばりする。それが、いかにも気くばりしてますよ、という気くばりではなく、さわやかに、ア、ホレ、さわやかに、ア、ホレ、さわやかに、というかんじに気くばりする。だから、 「ああ、気を使わせちゃって悪いな」  と男は決して思わないで済む。この、男に、「済む」、ようにさせるところがスゴイ。  どうスゴイかということを説明するために「据え膳喰《ぜんく》わぬは男の恥」という格言をひきあいに出そう。この格言、ファッション・ヘルスやソープ通いの免罪符として受け取っている腰抜けが多くて困りものなのだが、実は「鬼が怖くて男子たるもの生きてゆけるか」とほぼ同意語なほど男にとっては厳しい格言ではないのかと思う。 「ねえ、セックスしてちょうだい」  そう言われたらどうする? 男は恐くはないか? ここまで極端ではなくとも、 「好きです」  ではどうだ。ビビらないか? なぜなら据え膳の場面《シーン》には常に闘いの決意が要求されるのだから。だからこそ「男の恥」と、「恥」などという強い言葉でもって男を鼓舞する必要があった末の格言なのだ。  象徴としての相原 勇は、男に決して据え膳を見せない。いつも自然、とてもフツー、毎日ハツラツ、という驚異的な不自然さでもって男を安心させる。彼女の作る場面には鬼はいない。妖怪もいない、試験も注射もない。つまり責任も努力も、そして決断力も要求されない。 「あ〜、ラクだ」  と思った瞬間、男は洋服を脱いでいる。まるで催眠術にかかったように彼女の部屋で。 「ね、私の部屋でセックスしようよ」  などとは彼女は決して言わない。 「ね、私って意外と料理がうまいのよ」  と言う。  自分の部屋に男を招くことは誘っていることではないのだろうか、と葛藤することなどぜったいにこのタイプにはないのだ。ラクに安心させておいて男のほうからセックスへと向かわせる。計算ではない先天的巧妙技術。そしてベッドに入ったら、彼女はそのときから、洪水のように女光線を浴びせてくる。いつもサワヤカ、サバサバ、あっかるーい彼女の骨は、骨の奥の奥の奥底からネット〜リと女! である。  ラクだ。こんなタイプほど男にとってラクなタイプはない。男は何ら思考する必要がないのだ。闘う必要がないのだ。  こういうタイプは同性からも「安全パイ」だと思われて自分の彼を安心して彼女に紹介したりする。そしてアッというまに彼をぶんどられる。  恐《こわ》い。ほんとに恐い。彼女には何にも悪気がないところがますます恐い。恐いけれども、私はこういうタイプには逆立ちしてもなれない。  おふくろの色気、ママの誘惑、ヌカミソのテクニック。私は天からそれらを授からなかった。  霧のような雨がエニシダを湿らせる午後、私は自分がこの先も恋人というものを持てないんだろうなとあきらめる。  この脱力感に満ちた感情を、悲しみというのだろうかサガンに訊《き》きたい。文体パロディ・シリーズその二。  PS でも言っとくけど、別れた後で無言電話するのってこのタイプですからねっ。 ね ね ぎ  青ねぎを切ると内は空胴である。内身はなくともレーモンド・カーヴァー(村上春樹・訳)の文体をお借りして「ちょっと感じがいい歯医者さんがいた」というだけの些細《ささい》なできごとを綴《つづ》ってみた実験。文体パロディ・シリーズその三。     * 「悪いけど、午後、ちょっと車貸してくれない?」  彼女に頼まれたのはモーガンの店で遅めのランチを食べている時だった。 「修理からまだ戻ってないのよ」  マスタードをどばどばホットドッグにかけながら、ぼくのほうは見ずに彼女は言った。 「いいよ。遠出かい?」 「いいえ。歯医者に行くだけ」 「歯医者? またかい?」  彼女といったら、二週間おきぐらいに歯医者に行くのだ。 「痛むの?」 「全然」 「だろうね。それだけ通いつめてるんじゃ虫歯にかかる暇もないだろう」 「行きたいのよ。ドクターTに会いたいの」  やれやれ、とぼくは思った。彼女は歯科医のTに首ったけらしいのだ。 「痛いような気がする、っていう理由を昨夜考えついたの」 「不自然だよ」  ぼくがそう言うと彼女はコーヒーカップを持ったまましばらく黙っていた。歯医者を訪問する理由をまた新たに思案しているらしかった。考えごとをするとき、彼女はいつも決まって不意に黙りこむ。  ネルソンの店は窓が大きくとってあって、そこからやたらぴかぴか光るキャデラックが一台通過するのが見えた。 「歯列矯正したい、っていう理由も前に使ったのよ」 「八重歯一本ないくせに」 「前歯に隙間《すきま》があるから」 「矯正するほどの隙間じゃないよ」 「ドクもそう言ったけど、thの発音するときに気になるからって言ったら�ちょっとイーしてごらん�ってドクが言うからイーしたの。そしたら……」  彼女の目がモーガンの店の窓から見える風景よりももっと遠いところを見ている目になった。 「そしたら?」 「そしたら、ドクは�ふうん、ここらへんのこと?�って、前歯の列に沿って私の唇を指で沿ったの。ああ、わかる? 毛深くて太いドクの指が唇をなぞるのよ。泣きたいくらいうれしかったわ」  なんてこったい。相手は結婚して子供もいるんだぜ、とぼくは思った。 「あとはもう義歯にするしか訪問理由は残ってないんじゃないの?」  いいかげんにしろよ、と悪態をつきたいのを抑えてぼくは言った。 「それも使ったわ。そういうことは歯が悪くなって治すついでにするものであって、悪くないのにわざわざそんなことすることないって言われた」 「そりゃそう言うだろうね。それに義歯にしたら一目瞭然《いちもくりようぜん》でわかるよ、芸能人なんかすぐわかるもの」 「中森明菜でしょ。あれはヘタなところでやったんだろう、ってドクは言ってた。松田聖子の右二番、左二番。近藤真彦の右一、二番、左一、二番、薬師丸ひろ子の右左一番、松坂慶子の前全列はうまく仕上がってるって」  ぼくはおかしくてもう少しで大声を出して笑うところをこらえた。 「うまく仕上がってる、って言うけどそこまで細かくわかるってことは、つまり義歯だってわかるってことじゃない」 「そうか。そうよね……」  彼女はまた別の訪問理由を考えはじめた。ちょっとうつむいた彼女の睫毛《まつげ》の感じがぼくはとても好きだった。 の のりたま  シ(子)はちょいといやだったがサイ(妻)ある男性というのにひかれた頃があった。サイある男性を選んでひかれようとした、と言ったほうが正確である。  私は非常に冷え性であるが体以上に心はさらに冷たく氷のようである。ならばサイある男性を好きになることにしよう。幾多の「障害」や「隠し事」「秘密」といった例のやつが目の前に立ちはだかってくれてドキドキできるかもしれない。ごはんだけだと食べられないがのりたまをかけたら食べられる。そう思った。  だから妻帯者との不倫関係に悩むのは私には奇妙でしかない。 「チャタレイ夫人の恋人」のチャタレイ夫人や「マリアの恋人」のマリアの悩みとはあきらかに違う。夫が不能であるという彼女たちが心の乱れに悩むのは当然だろう。  だが、不倫の「関係」自体に悩むのは妙である。相手が妻帯者であることを隠していたならともかく、そんなこと、最初からわかっていることではないか。  悩むくらいなら、なぜ、そんな相手と「親しく」なるのか。  いきなり強姦《ごうかん》されて好きになってしまう、という人が世に本当にいるのかどうかはわからないが、もしいたとして、そのほうがまだわかるくらいである。  しかし、たいていはいきなり強姦されたわけではなく「しだいに親しくなる」というのをやっている。悩むのなら「親しくなって」いかないようにすればいいではないか。三次関数 (x) =2x3-3x2-36x+6 が極大値と極小値をとるときのχの値を求めることよりずっとずっとずっと簡単なことではないか。ワープロより朝シャンより簡単ではないか。そんな簡単なことがどうしてできないのか、まったくもって奇妙である。  誤解なきよう断っておくが、私は人を好きになるという感情まで奇妙だと言っているわけではない。  恋愛というものは難しい。可憐《かれん》な中学生も頭に白いものが混じりはじめてきた御婦人も恋愛に悩む。「彼のことは大好きだけど向こうは私のことが好きでないみたい。どうしたらいいかしら」とか「彼とはうまくいっていたのに最近うまくいかない」とかそういう悩みは三次関数よりずっとずっとずっと難しい。  だが「彼には奥さんがいるの……」なんていうどっちつかずの悩みは嘘《うそ》だ。「たまたま好きになった相手が結婚していた」なんていう理由を言うなら、現状を打破するための闘いの任務を負っている。本当に悩んでいるなら闘うはずだ。  かつてのりたまをかけるのが好きだった私だが、現在はごはんそのものがおいしいことを望む。そのためにお米をといでから一時間ザルで水切りしておくとか水加減をよく見るとか工夫したい。ただ、米屋に行くと「あなたに米は売りたくありません」と言われるのが辛《つら》いところであるが。  不倫に「悩む」人というのは自分がごはんにのりたまをかけていることに気づかないでいられる人なんだと思う。  今日ものりたまかと寂しがりながらも、じつは♪あったかーいごーはんにかけたのりたま♪ が好きなのだ。なぜなら往年のCMソングそのままに、♪こーんなうまいもん、ちょっとないよ♪ なんだから。 は ハ モ  七月十四日は祇園祭《ぎおんまつり》の宵山である。ニュースで祭が中継され、 「コンコンチキチンの音を聞くと夏が来たんやわあと思うんどす」  などと京都の人がマイクに向かってほほえむ。  私は、あの季節、コンコンチキチンの音をTVで聞くたび、なんとなく重ったるい気分になる。  中・高と、毎年七月十四日は期末試験のまっただなかであったので、そのときの気分がよみがえるのである。テストの点や成績や風紀検査にビクビクする小心でクソまじめな生徒だった。  小心でクソまじめだが、 「沖田総司さま……」  と、当時の女学生の流行にのっとる常識もあったので、  コンコンチキチン→池田屋事件→総司の大喀血《だいかつけつ》  こういう連想回路が長いあいだ私の頭の中にあった。そのせいもあって、よけいに重ったるい気分になる。  さて、コンコンチキチンの日には必ずハモを食べていた。  ごく子供のころは、たしかこの魚を嫌っていた記憶がある。小骨が多くて、口の中でシカシカする感触がいやだった。梅肉のタレもうまいとは思われなかった。だが、我が家では七月十四日は必ずハモが食卓に置かれるのである。残せないのである。子供心に難儀だと感じていた。たぶんこの記憶も、  コンコンチキチンの音→重ったるい  という反応を手伝っているのだろう。  年|長《た》けて、ハモをおいしいと感じるようになった。かつてはいやだと思っていた小骨のシカシカした感触こそおいしい素《もと》だと感じるようになり高校を卒業し、東京へやって来た。  ハモを食べねばならぬ、といった掟《おきて》めいた我が家の習慣を嫌っていたくせに、七月十四日になるとハモを食べなくては、と寮の部屋で一人思った。スーパーへ出かけた。そうしたところ、スーパーにはハモがない。 「売り切れですか?」 「いや、もともと売っていないんだよ、ハモは」  寮の近所には小さなスーパーしかなかったので品揃《しなぞろ》えが悪いためだろうと思い、結局、ハモを食べずにその年の七月十四日を過ごし、次の年の七月十四日になるあいだの一年に接触した人々との会話から私は悟った。ハモという魚は東日本ではなじみの薄い魚であるということを。  それから後のある日、どこかの商店街の魚屋の軒先で「ハモ特価」という貼《は》り紙を見つけた。  店に入ったところ、店内のどこを見渡しても、あの真っ白な一口サイズに切った、私の認識しているハモの姿、が見当たらない。 「ハモ特価」の貼り紙のそばにはウナギを売っているばかりである。 「あの、ハモはどこにあるのでしょうか?」 「これ。これだよ」  ウナギを指さす魚屋さん。 「え」  私がウナギの蒲焼《かばやき》だと思っていたのがハモであった。ハモを蒲焼にするという発想が私にはまったくなかったので気がつかなかったのである。  さらに後年、ある男性と二人で日本料理屋に入った。学生時代からの知り合いで、残りスペースも迫ってきたから端的に説明すると肉体関係がなく、共に一人っ子だったことから私は特殊な親しみを感じていた。きょうだい願望を満たしてもらえるような。  カウンターに並んで、私がハモの話をすると、彼は、 「魚偏に豊と書くんだってね」  と鱧という字を教えてくれた。彼は東京の人で鱧を食べたことがなく、小津安二郎の映画にそういうセリフを言うシーンがあって知ったのだとつづけた。 「じゃあ、いつか鱧を食べに行きましょうね」  みたいなことを私は言った気がする。頻繁《ひんぱん》に会う人ではなかった。  私は、その人ときょうだいのようにいつまでもぼんやりと仲良くしていたかったが、今年になって急に、 「あなたとはもう会いません」  と言われた。私としては原因がよくわからなかった。しかし、そういうものか、と思うようにした。  だから、やっぱりコンコンチキチンの音を聞くと重ったるい気分になる。 ひ ビール  ビールのCMが夏には多い。あんまり多いので誰の出てるどれが何ビールなのかさっぱりわからない。 「コクがあるのにキレがある、さてこのビールは?」  と尋ねられてもわからない。 「のどごしさわやか」  これもわからない。  たぶんグラスに入れて飲み比べても、おそらく私には区別できないだろう。  せいぜいドライタイプとそうでないタイプの区別がつくていどだ。いくつかある中からクアーズを選べというのなら、あ、これかな、ていどにわかるかもしれない。しかし缶のクアーズになると缶の匂《にお》いにまどわされるのでわからなくなるだろう。けっきょくわからない。  よくわからないから買うときCMのイメージで買ってあげようかなあ、とも考えるが、野茂がやってるビールが何ビールだったか蓮舫がしゃべるビールが何ビールだったか、酒屋にて思い出すことができない。  ずらりと並んだグラスのビールを飲んで、何ビールかが当てられたうえにそのCM出演者を当てられる人がいたら感心する。  それでも、ビールのCMというのはだいたいにおいて「ビールのCMだ」ということがわかる。  何のCMなのかほとんどわからないCMがけっこうある。  美人バイオリニストの諏訪内晶子さんがバイオリンを弾いてくれるCMを楽器会社のCMだと思っている人もけっこういるのではないか。  あれはたしか鉄の会社が新卒学生向きにやっているCMのはずだが、あれを見て、 「この会社に入ったらバイオリンを弾かされる」  と思う学生もいないとは思うけれどいるかもしれない。 「世界中の男が私のものになりますように」  と言って杉本彩が、 「おほほほほほ」  と、さわやかにタカビー笑いをするCMがある。笑うときに女王様のような豪華|絢爛《けんらん》な衣装を着ているのと豊かな胸が印象に強くて、私は最初杉本彩ではなくて紅白歌合戦に出たオペラ歌手の佐藤しのぶだと思っていた。そしてうがい薬のCMだと思っていた。正しくはヘルシー飲料のCMであった。  ちょっと前にすごくブームになったチャーリー浜のCMがあった。  私はあれを見て何のCMなのかよくわからなかったばかりか出演者をチャーリー浜ではなく松方弘樹がチャーリー浜のモノマネをしているのだと屈曲した誤解をしていた。  なぜなら、私の印象でのチャーリー浜は、吉本新喜劇において、キャリアは長いけれど、船場太郎や花紀京のようなスター☆というかんじの人ではなかったので、そのような人が東京でオンエアされるCMに出演するはずがない、だから、これは松方弘樹がチャーリー浜のモノマネをしているのだ、と、そう解釈していた。  松方弘樹だと思い込んでいるから、何度そのCMを見ても松方弘樹にしか見えない。  それがすごいブームだと聞いて、松方弘樹がチャーリー浜のモノマネをしたことがなぜそんなに話題になるのだろうとふしぎだった。 「たけしの番組で三枚目なところも見せているもののそこはそこ、やはり堂々たる二枚目路線で売ってきた人が気取りもせずチャーリー浜の真似をしたから話題になっているのだろうか」  基礎を誤解しているため、どんどん解釈が屈曲していったのである。週刊誌で記事を読んではじめて、 「ええっ、あれは本物のチャーリー浜だったのか」  と、ものすごく驚いた。  なんだろう。私はよほどぼんやりとCMを見てるのだろうか。  今度はシュワルツェネッガーと桑原和男(吉本新喜劇)がCMで共演するというからしっかり見よう。二人ともファンだし。しかし、何のCMなんだっけ。あれ、もう忘れてる。やっぱりぼんやりしてるのかなあ。  七時二十一分発の快速の前から三両目に乗る課長代理のCMならあれも何のCMかわからないタイプのCMにもかかわらず商品名はすらすら言えるのに。  好きです、課長代理。課長代理といっしょに焼き肉を食べてる女性社員よりも私のほうがずっと課長代理のことを深く好きです。好きですからね。 ふ ブレッド&ティー  その男の人はとても私の好みのタイプであった。  精悍《せいかん》で、ちょっと屈折した陰があって、毛深い。  原稿書きの仕事を、私は学生時代からしていたが、そのころは本数もぐっと少なくて暇もあったので、ふとしたきっかけでボーイ ミーツ ガールをやれた。  いっしょにお茶をのんだり、ハンバーガーを食べたりした。 「いいカンジでやっていけるかな……」  と、期待がもてた。  しかし、ある日、彼が公園の砂場にしゃがんだ。  そのとき、Tシャツの丈が短かったのかジーンズの股上《またがみ》が浅かったのか、背中のあたりが露出した。  彼の後ろに位置して立っていた私の目に、彼の下着がチラリと見えてしまった。  彼は白いブリーフをはいていたのだ。 「なぜ……」  私は膝《ひざ》から落胆していった。  さーっと血の気がひいてゆく心地になったのをおぼえている。  いやだった。 「あれ、どうしたの?」  砂場から離れてベンチにがっくりとうなだれるように座っている私に気づいた彼が笑いかけても、私は笑顔を返せなかった。  いやだった。  下着を見てしまったことで生々しさを感じたから、などという理由ではない。  そのとき二十一くらいだったからさすがにそこまで少女《メルヘン》ではなかった。ただ、白いブリーフ、というのがいやだった。  たまらなくいやだった。白いブリーフ自体がいやなわけではない。白いズボンをはいたときに白いブリーフ、というのであれば当然なことだ。  今日だけたまたま、というのでもべつにいいのだ。  白いブリーフしかはかないというのがいやなのだ。  彼もたまたま今日だけそうだったのかもしれない、と考えなおし、会話がパンツへと流れてゆくようにしむけた。  自然な流れでパンツの話になったとき、常時はいているのはどのようなパンツですかという主旨の質問を、おそるおそるした。  ただし、あくまでも表面的には気軽な感じを装っていた。  私は脇役の演技派女優の道を選んでいたら、もしかしたら大成していたかもしれないというくらい、こういう演技が玄人《くろうと》はだしでできる二重人格者である。 「白いブリーフ」  私の名演技の誘いによって、彼も気軽にそう答えた。 「ふうん」  気軽に私も答えた。  しかし、心中では落胆ひとしおだった。落胆しているのを彼には隠した。そんな演技も私は朝飯前にできる実にいやな二枚舌性格者である。  以後、彼には会わなくなった。会わなくなる前に二度、会ったが、話していても、 「この人、今も白いブリーフをはいているんだわ」  と思うと、いやでたまらなくなるのである。  自分にはさんざん欠点がありながら、たかが、白いブリーフをはいていることぐらいでその人を嫌うようなことができたのは、ひとえに若さの傲慢《ごうまん》さだったと今は思う。  それでも、白いブリーフは私にとって今もいやなものではある。  白いブリーフをはいているからという理由だけで会うのをやめてしまうようなモッタイナイことはもちろんしないと推測するけれども、今は(だって今は、男性と仲良くなる機会をまったく失っている状態なのでわからないでしょ、推測するしかないわ)。  なんで、白いブリーフがいやなのかというと、そこにその男性の母親の威力をまざまざと見せつけられるからである。  男も中学生くらいになれば色気づく。そしたらパンツ選びにだって自分のコンセプトを持つだろう。そりゃ、幼いコンセプトかもしれない。『ポパイ』や『ホットドッグプレス』の愚かな信仰かもしれない。色気の初心者なんだからしかたないだろう。でも、それが乳離れのスタートというもんじゃあないか、と私は感じるのである。  なのに、成人しているというのに白いブリーフというのは、もう、股間《こかん》にまで「ママ」が住んでいるようで、他人の私なんかたちうちできない「ママの威力」を感じさせられるのだ。  男性読者のみなさま、もし今アタック中の女性がいて、その女性が二十四〜四十四歳だったら、悪いことは言いません。白いブリーフだけはやめたほうがいいです。とにかくあれだけはやめたほうがいいです。警告します。  (注) ブレッドはパン、パンとティーでパンティと、ああ、座布団とられる。 へ へんなおばさんのブレッド&ティー  時は夜の十一時過ぎ。場所は薄暗い密室。ダブルベッド。ラジオからスローなジャズ。  そこにいるのはふたり。男。四十歳とちょっとくらい。もう一人は女。二十歳とちょっとくらい。  男は女のことが好きである。女も男のことが好きらしいが少しためらいがあるようである。  こういうシチュエーションで物語が展開されてゆくジャンルの小説。  五ページ読んだだけで、おおよそこの男と女が何をするのかが予想できる。  予想どおりにラブ・シーンになる。予想どおりなのはいやではない。予想どおりにラブ・シーンになることを期待してこちらも読んでいるわけだから予想どおりになってくれるほどワクワクする。  で、まあ、キスをしたり何かささやきあったりする描写があって服を脱がす描写があって、次が問題。 「彼の手がゆっくりと彼女のショーツへのびると、ショーツだけは許してと彼女は……」  などと書いてあると、とたんに私はがっくりしてしまう。ざばっと水をかけられたように冷めてしまって、あとはもう、流し読みである。  なぜか。ショーツ、という語がいやなのである。まだ、ズロースのほうがマシである。ショーツ、という語ほどいやな言い回しはないと思う。セックスした、と言わずに、関係した、と言うときと同じ厭味な色気の無さがあって嫌いだ。  こういうシーンでは、パンティ、という語を使うのが正しい道だ。正しいことなのだ。  パンティという言葉は素直にいやらしくていい。素直に淫靡《いんび》で芳醇《ほうじゆん》であざやかで簡潔である。  最近、女の子はパンティのことをパンツと言う。わざとダサイ言い方をするのは、みんなパンティという語が生々しいことを知っているからだ。  でも、パンティはパンティなのだからしかたがない。  まあ、女の子が日常会話においてシャイさかげんでもってパンティをパンツと呼ぶのは、むりもないかナ、ともその心情を察せる。  しかし、こういう小説の、こういうシーンのときはパンティと書くべきだ。私はこの先、どんな妨害にあってもパンティのことはパンティと書くつもりでいるし、言うつもりでいる。誰もこんなことを妨害しないとは思うけど。  さて、近所に買い物に行くとたまーに出会うオバサンがいる。その人はいつも黒いレースのショールを肩にかけている。小柄で固太りな体格をしている。私はその人がちょっと怖い。  スーパーで『先着20名様にトイレット・ペーパー1個プレゼント!』みたいなセールがあって、私が偶然二十人目だったりするとドンと私を突き飛ばし押しのけて自分が二十人目に並んでしまうような人だからである。  私だって平和な世の中ではなくなったらこの人のようなことをしでかすとは思うのだが、今のところはやはり怖い。  以前、私はこのオバサンに失礼なことをしたことがあった。  銀行のドア(自動ではないタイプ)をこの人が開けたとき、私のほうが先に出てしまったのだ。  私はいつもこういうことに自分でもいやになるくらい気を回す人間で、このタイプのドアから出るときは必ず、次の人が出るまでドアを押さえて待っている、という行動様式の人間である。  それが、㈰この日は精神的に疲れていた。㈪この銀行は普段は自動ドアなのがこの日だけ故障で自動ドアではないほうしか使用できなかった。この二点により、うつむいて考えごとをしたままの私の前でドアが開いたときついサッと出てしまったのだ。  理由があったとはいえ、エチケットからすると私が悪い。そのことは認める。  ただ、私が悲しかったのは、どうしてこんな日に限ってこのオバサンに遭遇するのか、という自分のクジ運の悪さだった。オバサンは私にきつく不満の奇声を浴びせた。 「ショーッ!」  こういう隠された事情もあって、私は、ショーツ、という語がラブ・シーンに出てくるのは大嫌いだ。  似てるもん。ショーッとショーツは。 ほ ぽるなれふ  別れても好きな人。  これをカラオケでときどき歌う。ヘタな者でも失敗しない曲だから。でも歌いながら、「なんてシンパシイを感じない歌だろう」  と思う。  私は何といってもAB型である。超合理的。地球の資源を守るために広告の裏や書き損じた原稿をメモ用紙に使うというようなことはいとも容易にごく自然にできるが、恋愛なんて理屈に合わぬことは「必死に自分に暗示をかけて」でないと、できない性格だ。  ましてや「別れても」かつ「好きな人」やとー! なんちゅうルーズな論理しとんじゃ、おんどれが! もう一回ピタゴラスの三角形合同の定理から勉強し直してみい! と、言いたくなる。 「忘れられない、ということが真理であると仮定すると前提条件の、別れた、という事実と矛盾する」  左脳がズキズキしてきて『背理法証明』でこの歌に文句をつけたくなる。  傘もささんと渋谷から赤坂、高輪《たかなわ》なんてウロウロ歩いたら風邪ひいてしまうやろが、と、言いたくなる。  ほとんど人生幸露師匠になっていく(責任者出てこい)。  そんな私が、 「やっぱり忘れられない。やさしい貴方《あなた》のしぐさ」  という心境に、このたび、なってしまった。  ある日の夕暮れ。私は都内の某レコード店で「別れた人」に会ったのだ。  あれは私が十五歳のとき。彼は二十九歳。  私はそれこそ身を焦がして彼に恋した。みだらな夢も見た。燃えていた。  いったいいつこの恋の炎は消えるのだろうか不安になるほど燃えていたが、ふしぎなことにいやむしろ恋がいつもそうであるように、炎はいつのまにか沈んでしまった。  何が原因ということなく別れた十八歳。私は幼かった。ひとえに幼かった。  あれから十四年。私は若いという年齢ではなくなった。あれほど夢中になる恋は、私の左脳が邪魔したために、もうできなかった。 「なんて私は心の冷たい人間だろう。なんて薄情なんだろう。なんて理屈っぽいんだろう」  自分で自分のことをそう思っていた。 「恋愛で悩むなんて馬鹿馬鹿しい」  そう思っていた。 「人の感情はすべて理論で割り切れる。割り切れないのはその人がダラシナイだけだ」  そう思っていた。  思っていたのに。思っていたのに。思っていたのに——っ。 「でも、うまくいくさ」  と、彼に囁《ささや》かれ心臓が早鐘を打ってしまった。 「どこから来てどこへ行くのかを二人で尋ねよう」  と、囁かれ涙ぐんでしまった。 「君へメッセージを送る」  などと囁かれればもう腰くだけであった。  レコード店で、私は見つけたのだ。『カーマ・スートラ』というCDを。歌っているのはミッシェル・ポルナレフ。  そうよ! かつて「見せる、ポルノ、レズ」としょうもないギャグ言われたあのポルナレフよ。なんと、まだ、歌ってたのよオ、あの人。ヒックヒックヒック(感動にむせている)。  一九七一年から七五年にかけて、嵐のように日本で人気が爆発して嵐のように去っていったポルナレフ。全盛期には、 「今や女のコに好きな食べ物を聞いたって答えはポルナレフなのだ」  とまで言われた人なのに、新アルバムを出したことさえ私は知らなかった。  四十六歳になったポルナレフの声は、昔のままに甘かった。私はこのCDを聞いてはじめて「別れても好きな人」という心理が理解できました。別れても私はポルナレフが忘れられません。  �ソニー関係者御一同様、この本をお読みになったら、復刻版ポルナレフ全集のブックレットは、ぜひ、私に御依頼ください。そして彼が再来日のせつにはカラオケBOXで二人っきりでデュエットしたいとお伝えください。そのときに備えてベルリッツにも通っておきますので、学費も……無理か。 ま マカロニ  オナニーという語は聖書からきている。オナンなる男が妻の体内に射精しなかったから、だというらしいが、くわしくはつっこまないでくれ、教養がないから。  はじめてこの言葉を知ったときが、十一か十二くらいだったはずである。  そのとき思ったこと。 「マカロニに似た言葉だ」  オナニーとマカロニは似ている。六本木《ろつぽんぎ》と木琴も発音すると何となく似ている。  それで、オナニーなんだが、特殊な職業に就いている女性でない限り、深いつきあいでもない男性がオナニーする姿、というのか光景というのか、をライブで目にする機会はないと思う。  それなのに、私はなぜかオナニーする男性にエンのある清純|可憐《かれん》なムスメである。  詳しく知りたい方は『ガラスの仮面の告白』(角川文庫 三九〇円)をお買い求めくださいますようお願い申し上げます。  さて、ふしぎなエンは今なおつづいている。  あるとき、京浜東北線に乗っていた。  六〇パーセントくらいの乗車率だったが、できるだけ立つように心がけているのでドア口に私はいた。しばらくすると一人の男性がちょうどドアの幅をあけたかたちで私の前に立った。  やせた人である。年齢は二十六歳前後。髪はスポーツ・カットふう。顔だちは、あえて言えば「ブルーハーツ」のボーカルの人に似てたかなあ。服装はレモン色のトレーナーに下はスエット。スエットといってもその色がみどり色と、カラー・コーディネイトが明るいのでさして不審な人物には見えなかった。  彼は私を見た。それから車両じゅうを見渡した。それも、奇妙には思われなかった。だれでもそんな行動はするものだ。  次からがちょいヘンになった。スエット・パンツの中に片手を挿《い》れたのだ。  でも、ヤンキーなんかだとわりにツッパリの一環でそんなふうなしぐさをするから、それに近い心理なんだろうと解釈した。  すると、彼はスエットの中で手を動かしはじめた。  それでも、痒《かゆ》くて掻《か》く場合もあるし、まあ、人目を気にしない性格なんだろうと解釈できなくもない。  彼はじっと私を見ている。私のその日の服装は赤いTシャツにジーンズで、さしてデーハーな恰好《かつこう》ではなかった。けどコンシャスはコンシャスだったかもしれない。  じっと私を見ながら、彼の手の動きは上下ではなく、あきらかに前後に動きはじめた。  どう前後かというと、つまり突起物を前後するあんばいに動いたということだ。  ここらあたりから、車両中の人々が、彼に対して「見て見ぬふり」に変化しはじめた。私もできるだけナチュラルを心がけて場所を移動した。  すると、彼の視線も私を追ってくるのが、わかった。よく小説にある表現。「視線を痛いほど感じる」というアレである。  次の駅で降りようとも思ったが、そういうあからさまな「逃げる」行動を呈すると「追いかける」行動を呈せられるかもしれないとも思った。また、快速で駅と駅の距離も長い。  しようがないから空いてる席にすわった。そのまま見ないでいることが賢明ではあったのだろうが、心の葛藤《かつとう》の末にやはり私は彼のその後をそれとなく観察してしまった。  彼の肩ははげしく上下していた。肩で息をしている。スエットの中の手の前後運動もはげしさを増している。  駅についた。彼が立っているほうではないほうのドアが開き、数人が乗ってきたりしてガヤガヤっとしたとき、彼の口から「ああーっ」という大きな声が発せられた。  まるで作り話のようだ。信じてもらえないかもしれないけどこれはノンフィクションである。本当にあった話である。  女に生まれたからには自分のことを想《おも》ってオナニーしてもらうのは、そりゃありがたいことではある。その男性を自分も好きならば。  だが、こういうケースはひとえに不気味です。 み ミョウガ  ミョウガを食べると物忘れするという。  子供のころから私はミョウガが好きであった。天麩羅《てんぷら》が食卓に並んでも自分のイカ天を人にあげて代わりにミョウガ天を入手したがる子供だったが……。  週刊『少女フレンド』に連載されていた『サインはV』のヒロインの名前は朝丘さんだが、TV化されたとき、放映は日曜の夜七時半からで提供は不二家だった……。資料はまったく手元にない。うーん、たしかその前の七時からが『アタック�1』で提供は大塚製薬だった……。『アタック�1』より『サインはV』のほうが好きだった。『サインはV』は望月あきらの絵に矢島正雄の原作だった。立木武蔵バレーチームでバレーに青春を賭けた少女のスポーツ根性漫画、であるはずなのだが、どういうわけか、私の目にはやたらエロチックな漫画として映った。  望月あきらの描く登場人物の身体の線が肉感的で、朝丘さんも麻里さんも「少女」というよりは「女」の身体に描いてある。  当時、小学校五年生だった私は早熟なトニオ・クレーゲル少女特有の過敏さでもって、漫画のコマに充満する官能の匂《にお》いを嗅《か》ぎつけずにはおれなかった。  バレーボールの練習をするから汗をかく。望月あきらはその汗の描き方に特徴のある漫画家だった。シャツに汗がにじんでいるのを如実に描く。太腿《ふともも》に汗がにじんでいるのも如実に描く。それが何とも肉感的であって、ストーリーの展開よりもエッチな興味でもって私は毎週『少女フレンド』の発売を楽しみにしていた。とりわけ、麻里さんが好きだった。いや、ヒロインの朝丘さんなんか眼中になくて麻里さんだけが好きだった。  朝丘さんのスパイクをレシーブするために、麻里さんは裕福な家庭環境をフルにいかして特別練習装置をつくり、毎晩、秘密練習をする。  ダイリーグボール養成ギブスのようなコイルで手足を縛り、使用人にボールを投げさせる。 「お、お嬢様、も、もうおやめになってください。でないと死んでしまいます……」  使用人があまりの過酷な練習をみかねて言うが、麻里さんは、 「いやよ。朝丘さんに負けるくらいなら死んだほうがましだわ」  と言うのである。このシーンにたとえようもなく私は魅せられた。  女の、虚栄心に近い闘争心。どうみても少女ではない膨らんだ胸のあたりににじむ汗。ボールを受けそこねてアザになった、どうみても少女ではない太腿。そんな肉体を縛る金属縄。 「いひひひひ」  と卑しくいやらしい笑いを浮かべながら、私はこのシーンばかりを繰り返し繰り返し読んでは性的興奮に幼い身体をふるわせ、三島由紀夫が告白したところの ejaclatio をおこない、勉学をおろそかにした。  私にとっての『聖セバスチャンの殉教』は『サインはV』ですと言っても過言ではなかろう……って、ひゃー、怒られるだろうなあ、ヒハンされるだろうなあ、あなたっ、三島由紀夫をなんだと心得ているんですか、身のほどをわきまえなさい、なんてね。  けれど、私と三島由紀夫がちょっと違ったのは、もとい、怒る人がいるだろうから、だいぶ違ったのは、麻里さんの秘密特訓を見て、自分もかくありたいと願わなかった点である。  私は、お金持ちのわがままな高慢ちきなツンとした顔だちのグラマーな女をどこかからさらってきて縛りつけて、この麻里さんのような特訓をさせたい、身体にボールをぶつけてやりたい。ぶつけられてツンとした顔に涙を浮かべる姿を見て「いひひひひ」と笑いたいと願った。  これはレスビアンの心理なのだろうか、よくわからない。  しかしTV版『サインはV』では、私はたしかに中山麻里を性的な目で見ていたし、彼女が傑作『傷だらけの天使』でストリッパーをやったときにいたっては、 「いいぞー、脱げー、脱げー、もっと脱げー」  と、はっきり口に出していたことを覚えている。そして、中山麻里は脱いだ。その乳房は挑発的な大きさで私好みの犀《さい》の角形だったことももっとよく覚えている。三田村邦彦が羨《うらや》ましい。 む 無農薬  ビジネスマン向きの雑誌にエッセイを書くことになった。テーマは「ゴルフなんて大嫌い」である。  わたしはゴルフをしない。ゴルフに興味がない人間である。「ゴルフなんて大嫌い」ではなく「ゴルフなんて大嫌いっ!」という人間であるような気もする。  いや、「ゴルフなんてするのバッカじゃねえの。あのゴルフバッグ持ってるの見ただけでゲーッてなっちゃう。ほーんと、ゴルフなんて大——————————嫌いっっっっー!」な人間なのかもしれない。  わからない。やったことがないのだから。やったことがないものについては印象を語るしかない。 「けっこうですよ。ざっくばらんに思ったとおりのことを書いてください」  と電話で、編集長に言われてから、後日、参考としてその雑誌が郵送されて来た。  中身を見てびっくり。 「うひゃあ」  と思った。  この雑誌の読者はおそらく全員ゴルフファンであろうことを推察したからである。  その雑誌のなかで、 「ゴルフなんて気持ち悪い」  とか、 「ゴルフバッグ持ってるヤツみると背後から蹴《け》りたおしてやりたくなる」  とか、 「ゴルフ番組なんて放映禁止にしろ」  とか、 「まともな美意識を持っていたらゴルフをやるという発想はわかないはずだ」  とか、 「わたしはゴルフをしません、というのをスローガンにした政治家が出てきたらぜったい投票する」  とか、 「飲み屋でゴルフの話をしてるヤツのニヤけて皮膚の毛穴に垢《あか》がつまってそうなきりりとしたところがちっともない顔といったら!」  とか、 「なにがパーだ。てめえの頭がパーだよ」  とか、もし、万が一、本心ではないのだけれどしかたなく、言ったりしたら、それは読者全員を敵にまわすことになる、どうしようと、わたしはブルブル震えた。 「こまった、こまった、こまったわい」  根が小心者だし、他人の悪口などついぞ言ったこともなければ言えもしない心やさしい性格のわたしは、原稿を書くにあたってTVでゴルフ番組を見ることにした。  タレントとプロゴルファーがいっしょになってゲームを楽しむといった趣旨のゴルフ番組であった。  ふうむ。ゴルファーの表情は厳しくりりしくステキである。やはりプロの顔はすてきだ。  可愛《かわい》い、あるいはハンサムなタレントも、ゴルフ界の鉄則のために不本意にもダサイの極致をいくファッションの服をむりやり強制的に着せられて「おしん」さながらの耐える姿を見せてくれる。 「いまの若いもんは忍耐力がないと言われるけれど、なかなかどうして」  わたしは目頭が熱くなった。特別にファッションには気をつかわなくてはならないタレントという職業なのに、あんな服を着なければならないのはさぞかし辛かろう。  キャッ、キャッ。やりますねえ。アハハ。うふふ。 「わざと楽しそうにしてみせている……」  涙がにじんだ。  ナイッショーッ。ナイッショーッ。グッボーッ。 「ナイすショッと、グッとボーる、と日本人なら発音したいだろうに、こんな発音で滑稽《こつけい》なピエロを演じなくてはいけないなんて……」  涙があふれた。  涙をふきながらわたしはTVのスイッチを切る。  やはり、こんな涙をさそう感動のスポーツ、ゴルフのことを、 「ゴルフ番組をちらっと見ただけでオエーッとなる」  とか、 「広いところを歩いて気持ちがいい、っていうんなら鳥取《とつとり》砂丘を歩け」  とか、 「わざわざコースに建設された所じゃなくても山登りとかハイキングとかすればいいじゃないか。皇太子さまみたいに」  とか、 「山登りがオジサンにはきついってんなら、平地を歩きゃいいじゃないか。森林浴しながら森を歩き歩きビジネスの話してりゃ、ずっと取り引きがうまくいくぜ」  とか、 「てめえの使うゴルフクラブはちゃんとてめえで持てよな、おばちゃんに運ばせてるんじゃねえよ」  とか、 「キャディはキャディでそれで職業になって金が動いてひいては経済の潤滑油になる、ってんなら、ビジネス森林浴散歩でもキャディを登用すればいいじゃないか。キャディが運ぶのは植物図鑑。ふと目をとめた花や草のことをそれで調べたりして会話もはずむってもんだよ」  とか、 「ストレス発散になるなんて言いながら腰を痛めてちゃ世話ないスポーツだ」  とか、本心ではないのだがしかたなく、言っては多勢に無勢だ、四面楚歌《しめんそか》だ、ちょっと用法がまちがってるが紅一点だ、どうしよう。  こわい、こわい。わたしはもうブルブルがとまらなくなった。  心やさしくて悪口が言えない性格なのだ。ほんとうだ。ゴルフというスポーツ自体に罪はない。  アメリカやオーストラリアや平地の多いイギリスなどで、環境を生かしたコースで行うゴルフは楽しいものなんだろう(わたしはスピード感のあるスポーツしか面白いとは思わないのでアメリカに行ってもオーストラリアに行ってもしないだろうが)。  ただ、日本でゴルフをうれしそうにしているのが不可解なだけである。  不可解だからといって、 「がばがば農薬をまき散らして付近住民を危機に陥れる。ゴルフはスポーツのジェイソン(13日の金曜日)だ」  とか、 「無神経!」  とか、 「土地荒らし!」  とか、 「狭い国土の国民がやるもんじゃねえよ、この非国民!」  とか、 「罪悪だ、とこのさい断言する!」  とか、本心ではないのだがしかたなく、怒鳴ったりすることはできない。どうしよう。なにせ、小心者なのである。  だから、日本の国土にふさわしいスポーツは卓球である、と提案することにした。  タモリのせいで卓球はいわれのない悪口をひとえに受けるスポーツとなってしまった。  なげかわしいことだ。  あんなにスリルとサスペンスとスピード感を満足させてくれるスポーツはないのに。  ゴルフ場ひとつで、いったいどれだけの卓球台が置けることだろう。  わたしは夢みる。  駅のホームでみっともなく腰を曲げて両手を股間《こかん》のあたりにかまえ、シコッシコッと小刻みなスイングをする不埒者《ふらちもの》めが一掃される日を。  あ、いけない。不埒者ではなくて、卓球の面白さを知らない不幸な方々が、の言いまちがい。  わたしは夢みる。  駅のホームでさっそうと腕をひきしめて卓球のフォームを練習する人々が増える日を。  名前は言えないが、実業界のTさん。兄弟げんかはやめて、卓球のハイソで優雅なイメージ・アップ作戦に力をそそいでくださらないでしょうか。  ぜひ、お願いします。そのときは「卓球なんて大好き」という原稿を書きます。 め 明太子  友人の友人はレストラン・バーの支配人。この人は明太子《めんたいこ》のことを、めんたいし、と言うのだそうだ。 「おい、めんたいしが切れてるぞ。買っとけよ」 「日本酒とめんたいしはよく合うなあ」 「博多《はかた》へ行くんだったら本場のめんたいしを土産《みやげ》に頼む」  というぐあいに、めんたいし、めんたいし、と言うのだそうである。  明太子を、めんたいし、と読むとなんだか古代中国の王朝の王子さまのようである。 「おまえ、そりゃ、めんたいこ、だよ」  まわりがいくら教えても、最初に、めんたいし、と覚えてしまったのだろう、その人の言語フロッピイには、明太子=めんたいし、とインプットされてしまって定着してしまっているらしいのだ。  レストラン・バーだから開店前には必ず「朝礼」ならぬ「夕礼」のようなものがあって支配人であるその人はウエイターおよびウエイトレスに接待業者としての心得や注意点を話して聞かせる。 「ありがとうございました、の一声は大きくはっきり言うように」  と、まあ、そんなことを、ある日の夕礼でその人は話した。 「ありがとうございました、を小さな声で言ってもお客さまに聞こえなかったらなんにもならない。猫に釘だ」 「糠《ぬか》に釘《くぎ》」と「猫に小判」が彼の頭の中でミックスされてしまっていると思われる。  猫に釘、などというとすごく怪奇である。私はその言葉を聞いたとき、猫が額に五寸釘を打ち込まれている光景が浮かんだ。「糠に釘」は手応えのないこと、「猫に小判」は価値のわからないことの例えで、ともに無反応なさまであるが、「猫に釘」ならこれはすごい反応をすることだろう。  しかし、最近ではこういう話に笑ってばかりいられないくらい日本人の日本語能力が低下しているという。  ざっくばらんにつき合える人、という意味であるところの、 「気のおけない人」  というのが、油断もスキもありゃしない人、と広まって久しいのだそうだ。  私もずいぶん乱れた日本語を使う。文章の効果を考えて故意に乱して使っているつもりではいるが、注意していないといつのまにか乱れた日本語しか使えなくなってくる。 「私、めんたいしは食べれない。猫に釘は怖くて見れない」  などというようなことにならぬよう蛍雪の功……をしたら目が悪くなるので蛍光灯の功。なるほどこうやって日本語は乱れてゆくのですね。 も もう一度マカロニ  前項〔ま〕で、オナニーという語とマカロニという語は似ていると書いた。御期待にお応えして(?)続マカロニである。  ほんとにもう、なんで私ってこうもマカロニに縁があるんだろう。ひょっとしてやっぱり私は怪人黒マントと会った夜のことを忘れてるのか? もしかしたら黒マントが「願いごとは?」って訊《き》いてきたとき、ふと「マカロニが食べたい」とか思っちゃってたんだろうか?  さて、ある晴れた昼下がり。私は東急線のある駅のホームにいた。昼下がりなので電車と電車の間隔が空いている。ぽかぽかと良い天気だ。ベンチにすわってぼんやりと景色を眺《なが》めていた。  その駅は住宅街にある。駅は高架線になっていて、ベンチからは見下ろすかたちで細い道があった。  ああ、この四行あたりだけを読むとまるで純文学の出だしのようではないか。これで私が矩形《くけい》の鞄《かばん》なんか持っている描写を続ければこれからどんなに素晴らしい世界にイザナってくれるのかしらと読者に思ってもらえるのに、私はまた、ヘンな人に遭遇するだけなのだ。ごめんなさい、みなさん。  で、そのベンチから見下ろせる細い道にライトバンがとまっていた。ちょうど私がすわっているベンチの真下である。  運転席に人がいた。上下ロール式のカーテンが上三分の一くらいまで下りているので顔だけが隠れて首から下だけが見える。ベージュのつなぎを着ている。漫画本みたいな(詳しくは見えない)何かが彼の膝《ひざ》の上で開かれている。特別に興味を覚えたわけではない。位置関係からちょうど私の視線が行く所にその人がいただけのことだ。  彼の手が動いた。停止している車の中で動いたからとても目立った。彼はズボンの中に手を挿《い》れた。ズボンの中に挿れた手が動いた。 「おやおや、痒《かゆ》いのかな」  と、こんなときはやっぱりこうとしか発想しない。  だが、すぐに私はギョッとなった。彼の膝で開かれた漫画本の上に人間の皮膚の色の細長いモノがドンと置かれたのだ。そうだ。彼はズボンの中からそれを露出させたのだ。  さすがに露出したモノの細かな形状までは見えないけど、そんで見たいわけでもないけど、とにかくそれを彼は出してきたのだ。皮膚色のそれを彼は手でこすりはじめた。 「げげげ」  私は思った。オナニーしはじめたから、というんじゃなくて、 「なんで!? なんで私の人生ってこんなに頻繁《ひんぱん》にライブ・オナニーに遭遇する人生なの!?」  という意味の「げげげ」である。  彼の手ははげしく動き、やがてフロント・ガラスのそばにあったティッシュの箱から何枚ものティッシュを抜いて皮膚色の部分にかぶせた。まあ、終わった、のだろう。 「…………」  そこに都合よく電車が来て私は複雑な溜《た》め息をつきながら電車に乗った。ところが。それから一週間ほどした、やはり昼下がり。やはりその駅のホームのベンチに私がすわっていると、また、ライトバンがとまっているではないか。 「ライトバンなんてたくさんあるから、まさかね」  と思ったよ。そりゃ。でもでも、また、運転席で顔の部分だけ隠れた男の人が同じ行為をするのを目撃してしまった。つまり同じライトバンだったのだ。  思わずベンチから立ってホームを移動してそのライトバンのナンバーを確かめた。  しかし! 二週間くらい後、私はべつの場所でそのナンバーのライトバンに、また! 遭遇したのだ。そのときは横を通り過ぎたんだけど、通り過ぎざまチラツと運転席を横目で見たらやっぱり同じことをその人はしていた。  嘘《うそ》じゃないんだよ、この話。本当の話なんだよ。これが小説だってごらん。「なんて御都合主義な」って批判されちゃうよ。けど、事実なんだもん。  私ね、私ね、意地悪だけどシャイなごくごくフツーの人だよ。やさしい男性とディズニーランドに行きたいなあ、なんてことをずっと夢見て待ってて婚期を失ったような、そんな、どこにでもいるような人なのに、なんでこんなフツーじゃない人ばっかりに出会うの、もう、いや。  後日談(文庫版オリジナル)  本書は毎日新聞社より平成三年に単行本として刊行された。発売日から一週間ほどした昼下がり、なんということか、また! また! またしても! このライトバンに遭遇しこのドライバーが同じ行為をしているのを目撃した。そして、刊行年の年末に、また! 遭遇し、同じ行為を目撃した。  世の中にこれほど赤の他人のオナニーに縁のある女がいるだろうか。「業務上以外で偶然ライブ・オナニーに遭遇した世界一」としてギネスブックに登録してほしい。 や 焼き肉 「焼き肉を食べているツー・ショットの男女がいたら、まちがいなくデキている」  某有名大文豪が言ったそうだ。その作家のファンだが、この論にばかりは、声を大にして、 「ウッソだよー!」  と言いたい。私は特別な異性感情を抱いている相手とはとてもじゃないけど焼き肉なんか食べられない。なんといっても髪の毛に匂《にお》いがこもる。あれがたまらん。コートから洋服から下着にまで匂いがつく。焼き肉は大好きだが焼き肉を食べた後は着ていたものを全部ベランダに干して「匂い取り作業」を行いつつ風呂《ふろ》に入るくらいだ(最近は無煙焼き肉屋もあるがなぜかうまい店に限って煙が多い)。それにお腹はもたれるし、体は重ったるくなるし、口も臭くなるし、焼き肉食べた後でセックスするなんて、AB型には想像しただけでもいやだ。セックスした後で焼き肉食べるという想像にいたっては鳥肌さえ立つ。  この作家はAB型ではないだろう、と推測して後日調査したらやはりB型だった。なるほどB型ならそうだろう。乙女座ではないだろう、と推測して後日調査したらやはり牡羊《おひつじ》座だった。なるほど牡羊座流の敏感さだ。AB型乙女座は違う。AB型乙女座は好きな異性とは焼き肉を食べないという意味ではない。むしろデキてしまう前には焼き肉を食べられてもデキてしまってからは食べられない。これがAB型乙女座の美意識だ。……ってこんな血液型と星座程度の分類で決めつけ発言していいのかなあ。反感買うだろうなあ。来年の『アンアン』の「嫌いな女性」の項でベストテン入りしたらどうしよう。話半分で読んどいてね、と、妙なソツのなさを見せる小心さがまたAB型の特徴なんだけど、AB型乙女座は、焼き肉を「デキてしまったことによる安心感で食べる」ということに対してたまらなく卑怯《ひきよう》で汚いものを感じる真正直者なのだ。だから女性が自分の部屋に男性が遊びに来たときにデキてしまったことを、 「そんなつもりじゃなかったのよねー。面白いビデオがあるからって気軽に招いたんだけど、なんだかそういうことになっちゃって……」  などと語っているのを聞くともうゾゾゾーッとなる。 「その男の人のこと好きだったんじゃないの?」  と訊《き》いて、 「そりぁ、そうよ。一応お部屋を掃除《そうじ》したりしちゃったりして」  と答えられたりすると、ソットーしそうになる。  好きな男が部屋に来る。なにもないかもしれないけど、あるかもしれない。それをウカガイながら部屋を掃除したりしている女の蜘蛛《くも》みたいな恐ろしさを感じて、それがまた、無意識の蜘蛛だからよけいに恐《こわ》い。  私だって好きな男性と個室で過ごしたい。なにもセックスだけが目的で過ごしたいわけじゃない。でも、気軽な感じで、 「ビデオ見に来ない〜」  なんて、絶対絶対絶対言えない。彼が来るまでのあいだに百分の一いや千分の一いや万分の一でも、彼に対するウカガイをしている自分を感じたら、もう自分が許せない。心の底から神に懺悔《ざんげ》して罰してくださいと許しを乞《こ》いたくなる。好きな男性の部屋にこっちが行くのだって同じだ。なにもないかもしれない、けどあるかもしれない、なんて思いながらその日はいつもと違うパンティをはいて、 「元気ー」  なんてドアを入っていくなんて、そんなのそんなの、サワヤカ仮面をかぶった女郎蜘蛛じゃないか! 「お部屋に遊びに行くから、セックスしてもいいように用意しといてね」  と言うほうが、ずっと清廉だと思う。だからといって、べつに、しなくたっていいのだ。男性だって肉体の都合もあるだろうし。私とはしたくないかもしれないし。そんなことはまた別問題だ。いっしょにいられたらそれだけで楽しいんだから。  そう思いませんか、と、私はある日ある男性にせつせつと女の無意識の不潔さについて語った。彼は答えた。 「どうして? 全然わかんない」  あー、やだやだっ。これだからB型はやだっ。わかんなくてもそういう感覚もあるのかと呑《の》みこんじゃうO型|山羊《やぎ》や、理解しようとトライするA型|蟹《かに》のほうがずっと好き。でもAB型乙女同士だとわかりあえすぎて恋愛できない。困ったAB型乙女女だ。 ゆ 雪見だいふく  ときどき似顔絵を描きます。で、宮沢りえ、ほど似顔絵描き泣かせはいないのではないでしょうか。  似顔絵というのは、やり過ぎなまでにデフォルメしてやっと似るって世界なんですね。それなのに、りえちゃんってデフォルメしようがないんです。パーフェクト。完璧《かんぺき》。  吉永小百合、楠田枝里子、エリザベス・テーラー、ロッサナ・ポデスタ(古いっ)も描きにくい顔なんですけど、それでも吉永小百合はキャラクターも永遠の吉永小百合してるから「清純」な「美人」の記号になるような洋服やポーズにすればフォローできるし、楠田枝里子も奇抜なコスチュームや髪型で、リズとポデスタもガイジンということで、それぞれフォローできるんですが、りえチャンってフォローする小物がないんですよね。  顔かたちはパーフェクトなのにキャラクターは皆さんも御存知のとおりのアレですから描けば描くほど描き手はジレンマに陥ってくるわけです。これは同時に「つくづく宮沢りえは美人なのだ」ということを認識させられることでもあって、何を今さら、とおっしゃる方も多いでしょうが、ほんとにほんとにりえチャンは美人です。神様が人類の目をよろこばせるために世に贈りたもうた、んじゃあないかとまで思います。  実は私、モノホンのりえちゃんを見たことがあるんです。見た、なんてもんじゃない。あるパーティで同席して、目の前ほんの五十センチで彼女の顔としぐさを観察したことがあるんです(えっへん。どーんなもんだい。羨《うらや》ましいかっ)。  なにを隠そうなにも隠しはしない。私は筋金入りのミーハーですから、モノホンの芸能人を見たくらいでは手放しに褒《ほ》めはしません。でも、モノホンのりえチャンといったら、そりゃもう、あなた、スゴイですよ。雑誌やTVで見てもあんなに可愛《かわい》いけれど、モノホンはその二百倍三百倍も可愛いという、ほとんど奇蹟《きせき》的な可愛さ!  似顔絵を描くくらいだから人間の外見に関しては相当意地悪なつもりでいましたが、鳥肌がたちました。美への感動で。 「こんな! こんな! こんな美少女が実在するなんて! 今、自分の目が見ているのは現実なのか!!」  って、我が目を疑いましたね。夢かと思った。  血管が透きとおる雪見だいふくのごとき純白の肌。つやつやときらめく黒髪。上品な鼻。あどけないつぶらな瞳《ひとみ》。清冽《せいれつ》に輝く頬《ほお》。バラのような唇。桜貝のような歯ぐきに真珠が並んだような歯。あどけない瞳に不釣り合いなようでいて見事に釣り合いがとれている豊かなバスト。やさしくかつセクシーなヒップ。もぎたてのフルーツのように新鮮な表情。素直で気取らないキュートなしぐさ。好奇心に満ちた眉間《みけん》の利発さ。スラリとのびた長い長い脚。etc。こんな形容、ポルノ小説かハーレクイン・ロマンスの中でだけしか使わないものだと思ってたけど、こうとしか形容しようがないんですね。事実なの。ファン心理のオーバーな形容じゃないの。ほんっっっとに可愛くて美しかった。誘拐、って一瞬だったけど思いついてしまったくらい。誘拐《さら》って持って帰って床の間に飾っておきたい、って思ったくらい。  私はレズではありません。でもそれ以来、雑誌やTVで彼女を見るとドキドキします。性の意識を超越して彼女は可愛く美しい。今年もちゃんとカレンダーを買いました。  そこでお願い。糸井重里さん、どうかどうか、りえチャンを奪わないで。あなたは以前も私から樋口可南子さんを奪った。一行で私の年収を上回る収入があるんだから、もう、いいじゃないですか、もう。これ以上一人占めしないでください。ずるいわ。  (注) 雪見だいふく……ロッテ社のアイスクリーム。マシュマロの中にバニラアイスが入っている。 よ 寄せ鍋  寄せ鍋というのはほんとに苦労の多い食べ物である。と言うと、私が寄せ鍋が嫌いなように聞こえるかもしれないがそうではない。  性格は悪いが食べ物には、まず好き嫌いがない、というところが唯一私の取り柄といえる。  魚はヒカリモノから川魚、小骨の多いものから、かのフナズシにいたるまでぜ〜んぶOKだし、野菜もセロリ、ニンジン、ピーマン、エシャーレットからパセリ、チッコリー、にら、セリにいたるまでオールマイティである。肉も、牛以外はだめ、なんてことは口が裂けても言わない。ヤギもシカもイノシシもOK。トナカイまで食べる。  しかし、寄せ鍋には苦労するのである。  なぜか。それは、猫舌なのだ。カップラーメンを作っても、三分どころか十五分くらい放置しておくという猫舌なのだ。  むりやりに熱いまま食べると口の中の皮がずるん、ずるんと剥《む》けてきて、ヒリヒリ痛みだしてくる。だから食べはじめてから五分後からは、もう味なんかわからない。ひどいときは血の味が混じる。  カップラーメンくらいなら、それでもさしつかえはないんだろうが、誰かに連れられて行った有名な店の料理であったり、もてなしの手料理であったりすると、せっかくのおいしい物を楽しめないという悲しいことになる。  そういうわけなので、数人で鍋を囲むと、とたんに「物静かな人」に早変わりしてしまい、 「どうしたの、姫野さん、今日は食欲がないんだね」  などと言われる。  食欲はある。ただ、ゆっくりしか食べられないだけなのだ。  そこで、小鉢にがばがばっと取りだめして冷ましながらゆっくり食べようと計画していると、 「すっごーい。食い意地が張ってるんだねえ」  などと見られる。まあ、食い意地は確かに張っているだろう。  がばがばっと取りだめした物を冷ます時間が必要だから、他のみんなが、 「あー、もうお腹いっぱーい」  なんて言いはじめるころからぱくぱくと私は食べている。すると、 「わあ、大食なんだなあ」  という印象を寄せ鍋ラスト・シーンにおいて、私は全員にしっかり植えつけることになる。それにじっさい、大食だし、私。  ところで、急に論理が飛躍するが、猫舌の人間は性欲が淡白だと思うのだが、どうだろうか。  猫舌の人間は、たぶん、コンタクト・レンズ苦労性でもあるはずである。  ハード・コンタクトはまず無理だろう。ソフト・レンズでもかなり苦しさに絶え絶え装着しているはずである。  私もソフト・コンタクトを使用しているが、毎日の使用は目の中が「寄せ鍋をむりして早食いしたときと同じようなこと」になるので不可能である。一日おきにしか使用できない。それも六時間を超すと目が呼吸困難になって涙がにじんでくる。  口内や目蓋《まぶた》の内側というのは粘膜の部分だから、粘膜が弱いということは性欲も自然と退化してゆき、きわめて淡白な人間ができあがると思う。  私の友人にマヤちゃん(仮名)という女性がいる。  彼女は、私が五年かかっても痛がっていたコンタクト・レンズの、それもハード・レンズを、初日から入れているのを忘れたくらいの目の持ち主だった。  マヤちゃんは猫舌の反対で熱いものをフウフウやりながら食べるのが大好きである。  マヤちゃんは初めてセックスしたときから、いわゆる下世話な表現をすると、良かった、のだそうだ。  だからといってマヤちゃんの性格が「ふしだら」だとか「みさかいがない」とかいうのでは全然ない。キチンとしたいい娘さんである。  その、なんといえばいいのか、人間性とは別問題として、あらかじめ天から授かった肉体の個性という意味で話しているので、くれぐれもまちがえないでいただきたい。 「目が潤んでいる女性はセックスが好きだ」みたいな俗説があるけど、猫舌でコンタクトが痛くて潤んでいる場合もあるからむしろ、目が潤んでいない女性のほうがセックスは好きではないかと思う。 ら ライム  中学生のとき、テニス部に入っていた。ずっと隠していたがついに発表するときがきた。  テニスが強い中学で、他のクラブとは違うといった雰囲気があった。専属コーチもテニス部だけについていた。  な、もので、二年のはじめまではボール拾いと基礎トレーニングばかりやらされる。腹筋300回、腕立て伏せ300回、背筋300回、ダッシュ100回、ロード・ワーク10�、素振り500回、うさぎ飛び800mグランド3周など、今考えると目がくらみそうになるようなことをする。  これがフォームもなにもあったものではなく、とにかく「根性」でやれと命じられる。クラブ日誌に「根性」という字を100回書いてこいと命じられる。現在でこそ運動科学が普及して、正しいフォームで行わないかぎり腹筋も腕立て伏せも効果がないことが知られ、うさぎ飛びにいたっては禁止されているが、当時は少なくともわたしが所属していたテニス部では、この根性メソッドが用いられていた。関節をいためる者がときに出た。わたしはその一人だった。  クラブ日誌に根性という字を書きすぎて腱鞘炎《けんしようえん》になったわけではないだろうが膝《ひざ》と足首をいためた。 「根性がないからいためるのだ」  とコーチにののしられながら退部した。  コーチとて意地悪をしているわけでなく当時の運動科学の知識しかなかったわけだからしかたがない。  だから、わたしはテニス部にいたことはいたのだが、いよいよコートに上がらせてもらえる直前に退部したナサケナイ生徒だった。つまりテニスは初心者の腕前でしかないのでそこのところ誤解なきようライムの皮の味のようなテニス部時代の話をする。  三年生にナントカさんという女性がいた。六月ごろだっただろうか、ナントカさんは引っ越しして別の中学に行くことになった。 「ナントカさんは今月でみんなとさよならしなければならない」  コーチが深刻な面持《おもも》ちで練習のあと、一年部員を整列させて伝える(練習後の整列と反省は学年別に行われていた)。  伝えられても、ナントカさんの顔をわたしは思い浮かべることができなかった。  トレーニングとボール拾いばかりしている一年生にとって三年生など部室も一緒には入れない雲上人。どれがナントカさんなのか。  だいたいテニス部を選んだ理由も「団体競技が嫌いだから」だったのだから同じ学年の部員のことにすらそっけない冷たい心の部員である。ましてや雲上人の三年生のことなど名前と顔を一致させているわけがない。 「ふうん」  と思ってコーチの話を聞いていたのに、アサイさんが、 「そんなことって……」  と泣きだした。  アサイさんは、一年でもときどき先輩の練習相手をする、いわば花形スターだったからナントカさんのことが雲上人ではなかったのかもしれない。  アサイさんが泣きだすと、他の一年生の女子部員もざわめきはじめ、 「うそでしょう。うそだと言ってください」 「わたし、そんなのいやです」 「そうよ、これからも、ずっといっしょに練習していけると思っていたのに……」  というような主旨のことを口々に言い、すでに「反省」を終えて部室に戻っていたナントカさんを呼びに行った。  アサイさん他に連れられてナントカさんが一年生の前に姿を現した、はずなのだが、 「引っ越しするって本当なんですか」 「お別れしたくない」  と数人が取り囲むので、わたしは結局顔がわからない。 「みんな、いままでありがとう」  か細い声だけを残し、ナントカさんは帰っていった。後ろ姿はスリムな人だった、ような気がする。  一年女子がみんな泣きはじめた。わたしはショックだった。引っ越しというが、同じ県内で越すだけなのだ。そんな泣くほどのことではないと思った。  ふだんは陽気なトモエちゃんも泣きだした。トモエちゃんのとなりにキミちゃんが立っていた。  キミちゃんはわたしとひじょうに仲良しで学年では女子のトップでつねに冷静な人なのに彼女まで涙を流しはじめ、みんなシクシクと泣くなか、わたしは自分の身のふりかたをどうすればいいのやらほんとうに困り果てた。  泣こうと思えば泣くことはできる。『鉄道員』の音楽を耳に思い出すとわたしはすぐ泣くことができ、これは現在でもコンタクト・レンズがかわいたときに利用している。  しかし、泣こうと思って泣くことがナントカさんに対してものすごく失礼なことをしている気がした。いくら顔がわからないからといっても。  どうしよう、どうしよう、と思ったとき、トモエちゃんがシクシクからワアワアに変わって泣きはじめた。鼻汁も出ていた。  わたしは見てしまった。トモエちゃんの顔を見たキミちゃんが一瞬、ぷっ、と吹きだし、それを隠すように顔を手で覆ったのを。それで、ついに泣くチャンスをわたしは失った。  それなのに、わたしはナントカさんに手紙を書いた。コーチが、 「みんな、泣くな。そうだ、明日、ナントカさんに手紙を渡すんだよ。手紙でナントカさんをはげまそう」  と命じたからである。  手紙を書く作業はテニス・コートで困り果てたほどではなかった。 「ナントカさん、あなたは一年生の憧《あこが》れの的だったのです」  顔もわからない人にこう書いた。  この思い出はいまでもわたしを恥じさせる。 り リボンシトロン  テニスコートで一年生女子部員が泣いた〔ら〕の項の思い出には後日談がある。  泣いた日から数日後の日曜日、私はナントカさんの家に行ったのである。 「せめて顔くらいはたしかめておこう」  と思ってひそかに調査しに行ったのではない。 「引っ越し日は日曜日だ。どうだ、みんなでナントカさんを見送りに行かないか」  と、コーチが呼びかけ、 「わたし、行きます」 「そうよ、日曜日、校門前に△時に集合よ」  と、ほとんどの女子部員がその呼びかけに同意し、女子部員に男子部員も同意し、行かざるをえなくなったのである。  いつもなら昼まで寝ている日曜日であったが、それこそ「根性」で早起きして私は自転車を漕《こ》ぎ漕ぎ、校門へ向かった。  体質なのだろう。幼児のころから血圧が低く、起きてからしばらくは朦朧《もうろう》としている。この日も、朦朧とした自転車の漕ぎ方で校門へたどりつき、校門からみんなの後についてナントカさん宅へ行った。  ミョウガが好物だったくせに何でもかんでもよく覚えていてそれが自分でいやになる私であるのに、今、ナントカさん宅が町のどのあたりにあったのかを思い出そうとしてもまったく思い出せない。通った道の一本すら、おぼろげにさえ、思い出せない。  これはたぶん、ほとんど寝ながら自転車を漕いでいたのだ。  自転車をとめ、みんなでナントカさん宅を遠巻きにして見守るように立っているところから記憶がある。  引っ越しだから大勢の人が玄関を出たり入ったりしている。親戚の人や近所の人も手伝いに来ているらしい。  そのため、 「どれがナントカさんなのか?」  私にはまだナントカさんの顔がわからないのである。  いねむり運転後なものだから、ぼんやり立っていた。そのうち、目の前を大型のトラックがさっと通り過ぎた。  わっ。  みんなが大きな声を出した。一瞬のことだった。口々に「さよなら」と言ったのだと思う。その大型トラックにこそナントカさんが乗っていて窓から手をふったのだと、私が悟ったときにはすでにもうトラックは走り去っていた。なにせ一瞬のことだったのだ。 「ああ、とうとう行っちゃったね、ナントカさん……」  誰かが言った。 「悲しくなんかないんだよ。またいつだって会えるんだ」  コーチがその人の肩を叩《たた》いて言ったが、私は会わなかったので、結局、現在でもナントカさんの顔は知らずじまいである(もしかしたらどこかですれ違っていたのかもしれないが、顔を知らないのだからどうにもしようがない)。  で、トラックが去ってもまだ午前十時くらいである。  家に帰ったらもう一度寝よう、と私が心中で計画を立てていると、コーチが、 「俺の家はここから近いんだ。どうだ、みんな遊びに来ないか?」  と、新たな呼びかけをし、 「あ、ぼく、行ってみたいなあ」 「テニス・マガジンのバックナンバーが見せて欲しかったんだ」  男子部員が同意し、男子部員に女子部員が同意したために、私の計画はつぶれた。一人だけ帰るわけにはいかないクラブ活動なのである。  コーチの部屋は庭の一角に独立して在《あ》った。当時、田舎で流行っていたプレハブのミニハウスである。  コーチのお母さんがリボンシトロンを出してくれた。それを飲みながら、みんなはよもやま話をはじめた。花|茣座《ござ》の床に輪になって座っていた。  私は輪からやや離れて部屋の一番隅っこに座っていた。と、こう書くとずいぶん社交性を欠いた中学生のような印象を与えるだろうが、私はふだんはけっこう愛想のよい生徒であった。いじめられっ子やつまはじきっ子にされた経験もない。一人が好きだが、他人といるときもソツがない、というタイプであった。  ただ、このテニス部の雰囲気には〔ら〕項で書いたとおり独特のものがあり、その雰囲気が私をしてこのような位置に座らしめた。  よもやま話の最中、ヤスコちゃんの手が、床に直接置かれたリボンシトロンの瓶を倒した。 「ふきん、ふきん」  コーチはふきんを取りに母屋へ行った。ヤスコちゃんはそのあいだに自分のハンカチでリボンシトロンを拭《ふ》いてしまった。 「これで、拭い……」  すでにリボンシトロンが拭かれてしまっていたので、戻って来たコーチの言葉尻が窄《すぼ》んだ。 「ハンカチで拭いたので」  ヤスコちゃんが言うと、 「馬鹿。なんでハンカチなんかで拭くんだ」  とコーチが言い、 「すみません」  ヤス子ちゃんは謝った。一同がしんとなった。  といって、星一徹のような鬼コーチというわけでなく、しんとなった後には、 「いや、いいんだ。ただ、ジュースがこぼれたのなんかをきれいなハンカチで拭くことないんだよ」  ほほえんで言い、別の話題を出すようなコーチだった。 「そろそろ失礼しましょう」  ということになり、みんなが立ち上がりかけた。私も立とうとして、もたれていた本棚の一番下の一冊の本の背表紙がふと目に入った。それは新書版の本だった。 『彼女の心をつかむ洒落《しやれ》たセリフ』  私が何気なく隣にいたキミちゃんにその本を指すと、キミちゃんは、 「コーチ、見つけましたよ。こんな本」  と、他のみんなにもその本の存在を知らせてしまった。  コーチはあっはっはと笑って友達が忘れていった本なのだと言った。 「ウソだあ。コーチの本だ」  誰かが言ったが、私は、おそらく本当にこの本はコーチの友達が忘れていったのだろうと思った。自分で買った本に言い訳をするような人間の吐く息がこのクラブにはまったく無かったから。そういう息のない空気がこのクラブの雰囲気を作っていたから。 る ルミナール 〔ら〕、〔り〕、につづく、またまたテニス部の話。ルミナールより眠くなるか。  さて、六月のある日。その日は練習半ばあたりから雨が降ってきた。雨が降ってきても練習は休みにはならない。  過密都市の学校とはちがい、敷地面積は北海道と新島《にいじま》の差くらいある。ひとくちに「うさぎ飛びグランド一周」と言っても過密都市の中学でのそれとは規模がちがう。グランドだけでも三つあるうえに、第一内庭、第二内庭、第三内庭、第四内庭、第五内庭、第六内庭まである。他のクラブと交代しながら練習するような暢気《のんき》さは私の中学校のクラブ活動にはいっさいなかった。とりわけテニス部には。雨が降ってきたくらいで休みになろうか。  何せ広い学校なのである。どれくらい広いか過密都市育ちの人には想像もつかないだろうがオール平屋建てだと言えばわかるか。  各学年棟、理科室、工作室、家庭科室等の特別教室棟、職員室棟、用務員室棟すべて平家建てでそれぞれの棟は渡り廊下で結ばれている。雨の日にはあまたの廊下が練習の場と化すのだ。  練習メニューがほぼ終わったころ、雨はますますひどくなってきた。いつもよりは少し早めにクラブ活動は終了された。  朝はよく晴れていたので私は傘を持ってこなかった。そういう人は他にもいて、傘をちゃんと持って来た人に、 「あ、入れて、入れて」  と頼んで、次々に帰っていった。  私は頼めなかった。  なぜかという説明をするには、ここでもういちど私の中学校のありようを理解してもらう必要があるだろう。  都市の中学とはちがい、電車通学者はいない。全員、自転車通学か徒歩通学である。自由選択はできない。自転車通学を許可されるのは徒歩三十分以上の者に限られる。私は徒歩二十八分であった。そうだ。ギリギリの距離だったのだ。  自転車通学者は傘乗り漕《こ》ぎを禁止されている(合羽着用)から、傘を持ってきたのは皆、徒歩通学者である。  中学生の鞄《かばん》は重い。とても重い。ちゃんと折りたたみ傘を用意してきた人というのは、その重い荷物をさらに重くして傘を用意してきた人である。  雨がさほどひどくなければ、あるいは徒歩の道のりが長くなければ、私も気軽に、 「入れて」  と頼んだことだろう。  だが、ひどい雨の中を二人も傘に入れば、それも二十八分の道のりでは、重い思いをしてまでちゃんと傘を用意してきた御本人まで濡《ぬ》れさせてしまうではないか。  それに、六月という季節、途中から雨になるかもしれぬことは予測できるにもかかわらず傘を用意しなかったのは自分の責任である。命にかかわるようなのっぴきならない事情をかかえているわけでもあるまいに、雨くらい濡れて帰るもよし、こんなふうに考えていたところもあった。  そんなわけで、私は、 「入れて」  と気軽には頼めなかった。  部員たちが次々と帰っていっても私は渡り廊下の真ん中にあるベンチに腰かけていた。  しばらく待っていて止めば幸い、小降りにでもなれば、そのとき帰ろうと思った。  そう決めれば、みんな早く帰らないかな、とさえ願った。テニス部の空気が消えて校内に残る者も少ない渡り廊下に腰かけていればどんなに楽しい空想ができることだろう。  そして誰もいなくなった。  私はのびのびとして『小さな恋のメロディ』のことを考えはじめた。  あの映画が日本で大ヒットしていたころである。  田舎町だったので映画館などつぶれかけたようなのが二館あるだけ。洋画はめったにかからないし、ロードショーなど無理、不可能、幻である。 「見たいなあ。映画見たいなあ。小さな恋のメロディ見たいなあ」  雑誌に載っていた『小さな恋のメロディ』の紹介写真を目裏《まなうら》に浮かべ、ストーリーを想像しながら、ビージーズの主題歌を口ずさんでいた。  そのとき。 「どうした。傘がないのか」  もう帰ったと思っていたコーチが背後から私に声をかけてきた。 「はい……」 「そうか、家はどっちだったっけ?」 「△△町です」 「そうか、遠いんだなあ。よし、俺の傘に入れてやるよ」  コーチは黒い傘をスポーツ・バッグから出すと、私にいっしょに入りなさいというアクションをした。  コーチの身長と私の身長はほとんど同じくらいだったので傘は入りやすかったが、校門までの長い距離ですでに二人ともずいぶん濡れてしまった。 「ひどい雨だなあ」  傘の中でコーチが言ったとき、 「人生は雨ではなくメリーゴーランドなのですよ」  自分でも意識しないくらい速い反応で私の口はこうしゃべってしまった。『小さな恋のメロディ』の主題歌の訳詞を覚えてしまっていたのだ。  それで、コーチと私は映画の話をした。大学生だけあってコーチは、某近隣大都市内へときどき映画を見に行く「自由」を持っていたのだ。  私はものすごくうれしかった。周囲には映画に興味がある人間がいなかった。だから、 そんなに興味はなくとも実際に最近の映画を見ている人間と話せることがうれしかった。 『小さな恋のメロディ』のことをコーチは二十八分間、私の家に到着するまでずっと「ちっちゃな恋のメロディ」、「ちっちゃな恋のメロディ」と言うのだった。 「どうもありがとうございました」  自宅の門の前で私は心から感謝のことばを述べた。  するとコーチはにこにこして言った。 「これからは急に雨が降ってきたときに傘に入れてもらえる友達くらい作っておくんだぞ」  (注) ルミナール……催眠剤の商標。 れ レーコ  とても奔放な人だと思うらしい。のびのびと自由に育ってきた、と思うらしい。  誰をこう思うのか。私を、である。  最近はトウがたったせいで、これに、とても恋多き人、というのが加わっている。  困ったものだ。  私は陰鬱《いんうつ》な村の陰鬱な家庭で周囲に気がねばかりして窒息しそうになって暗く育ってきた。だからこそ上京してきてから、奔放でのびのびと育ったように見せたくてずいぶんと無理をしてほとほと疲れてしまった。  上京したころは喫茶店に入るという行為にもどぎまぎした。あまりにどぎまぎしているから不審に思われるのではないだろうか、とまで考えて、入り慣れている人を装おうとした。 「ご注文は?」  と訊かれ、喫茶店に入り慣れている人のように、つまらなそうに答えた。 「レーコ」  今でこそ�関西人はアイスコーヒーのことをレーコと呼ぶ�というのがギャグに使われるほどこの語は一般常識化しつつあるが、マンザイ・ブームをまだ迎えぬ一九八〇年ちょい前ではそうではなかった。  それに、関西の人すべてが、アイスコーヒーのことをレーコと呼ぶわけではない。今はどうなのかは知らないが少なくとも当時は、アイスコーヒーのことをレーコなどと呼ぶのは、ショート・ホープをショッポ、先生のことを先公と呼ぶのに似たニュアンスがあって、喫茶店に入り慣れた人の言葉だった。  ただ、全国中の〈喫茶店に入り慣れた人〉がアイスコーヒーのことをレーコと呼ぶのだと信じ込んでいた点が私の悲劇だった。 「レーコ」 「は?」  ウエイトレスが訊《き》き直した。つまらなさそうに言おうとしたために声が聞き取りにくかったのかと思い、私はふたたび、 「レーコ」  と、アンニュイに答えようとした。しかし、正体は喫茶店に入り慣れている人ではない。それを自分自身が熟知しているため、どうしても演技に自信がなくなり、アンニュイ、というよりは、ただの小声になった。心臓がドキドキしはじめ、頬《ほお》が紅潮してゆくのがわかる。 「ご注文は? 何でしょうか」  またウエイトレスが訊く。 「レーコ」  声がかすれて震えはじめた。 「え?」  顔を近づけてくるウエイトレス。 「え?」 「…………」  自分の顔が真っ赤になっているのが自分でわかった。  授業中の教室で先生にあてられたとき、私はいつも極度に緊張した。いつも背中に『家』をしょっていたために。そしてその『家』は私の背中で私の自我と絡みあい、まるで子泣きジジイのように、一絡みずつ背中を重くしてゆくのだ。解けと言われた問題を柔軟な姿勢で考える余地などどこにあろう。声を出すことにだけ、それも〈聡明《そうめい》で健全でそれでいて茶目っ気もある生徒〉らしい声になるように発声することにだけ、エネルギーは費やされたものだ。  ウエイトレスの朱色に染められた唇を目前にして、私は村の学校での授業中のような心地になった。  頬はもう燃えるようになっている。燃ゆる頬とは、アィャ、こォれのことォー、ばちん。と堀辰雄に見得をきりたいくらいだった。 「ご注文は何でしょうか?」  ウエイトレスがまた訊いた。私は郷土を嫌いながら皮肉にも郷土の近くにある清水《きよみず》の舞台から飛びおりる気持ちで息を吸い込み、 「レーコ」  と、大きな声を出した。 「は?」  ウエイトレスはいぶかしそうに私を見返し、次に、 「コーラのことですか?」  と訊いてきた。 「は?」  今度は私が訊き返した。あれだけ大きな声で言ったのになぜコーラと聞こえたのだろうかと。 「…………」 「…………」  二人で黙って見つめあった。 「あの、冷たいほうのコーヒーをください」  額の汗をぬぐいながら私が沈黙を破ってはじめて、ウエイトレスは伝票を置いてテーブルを離れたのだった。困ったものだ。 ろ 老舗菓子  老舗菓子といえば、あのなつかしのCM。  舞子さんが道を歩いてて歌が流れる。♪♪ つるやよしのぶ京銘菓、京都西陣、京の味〜 ♪♪  玄関の戸を開け、障子を開けると机の上に和菓子が、そこで舞子さんが一言。 「いやあ、つるやのお菓子やわあ」  って、あれですね。あれ、情緒があって良かったなあ。  おっと。頼まれもしないのにこんなに宣伝しちゃって。もしこれ読んだつるやの社員が和菓子を送ってきたらどうしよう。気持ちだけいただいておきますからね。すでに何度も書いたように甘いものが苦手な筆者です。  しかし、バターを使った甘クドい洋菓子にくらべると和菓子のほうはたまに食べたくなるときがある。月に一回くらい。これだけの説明で女の人にはわかるだろう。  私はとても重い。立っているのがやっとなくらいに重い。そのうえとても不規則。だからとても困る。 「ふらりとね、アフリカへ行ってきたんですよ」  そんなふうなことを言う男の人の話を聞いていると、 「いいなあ……」  と思う。けれども、 「あたし、全然平気なの」  そんなふうなことを言う女の人の話を聞いていると、もっともっともっともっともっと、 「いいなあ!」  と思う。  生理休暇を悪用して海外旅行へ行く人の話を聞くと、 「バカヤロー」  と思う。そういうことをする人は海外旅行先で本当に生理になってしまえ、とも思うが、本当に生理になったところで、そういうことをする人に限って、 「全然平気なの」  な人であることが多い。人生とはそういうものなのかもしれない。  で、時代は平成も三年であるが、いまだに生理の話をワイ談の一種のような心がまえで聞く男性が多いのにはつくづく困りものである。  会う約束をしていた日に、と言うと色めいた約束の日みたいだが、そうではなくて、用事があって会う約束をしていた日に急に生理になることがある。不規則な人間にはこういうことはよくある。  用事が重大である場合は額に汗をにじませて出かけるが、軽度の用事で日にち変更が可能な場合、日にちを変更してくれと電話をかける。 「つごうにより……」  という漠然とした言い回しで済む男の人は問題がないのだが、ときどき、 「どうしたんですか?」  と、理由を訊《き》いてくる人がいる。 「ちょっと体調が……」  と言っても、 「どこが具合悪いんですか」  と、どこが、どういうふうにどうしてまた急に、と深々と訊いてくる。しかたなく、 「風邪で熱が出た」  とウソをつくことになる。カゼ、熱、などと、「口実のサンプル」みたいでいやな気分になる。  私は「学校をズル休みしてはいけない、絶対にいけない、それは悪いことです」という確固たる儒教的教育勅語的パリサイ派的道徳の教えのもとに成長してきたので、こういうテイのよいウソつき行為に対し、ものすごくやましい気分になるのである。  そんなに悩むんなら、生理であるとはっきり告げればいいではないか、と思われるだろう。そうである。それが一番簡素な方法なのだ。以前は私もその方法をとってきた。  ところが。 「今日は生理なので」  などとハッキリ口にすると、 「うっひょー。生理だって」  と、意味不明な喜びを抱く人が今だにけっこういる。また、 「生理だ、とズバリ口にできるとはサバけた女だ」  と、不可思議な解釈をする人もけっこういる。サバけた女と解釈されたら最後、どんなワイ談をしゃべっても許してくれる女と拡大解釈してくるからほんとに困りものである。  そして、困りものな男の人に限って電話口で、 「つごうにより……」  という理由では済ましてはくれない部類の人であることが多い。人生とはそんなものなのかもしれません。 わ わたあめの日  中学生でした。田舎に住んでおりました。  ガロが流行《はや》っていました。『学生街の喫茶店』。  ♪かったすみーで聞いていたボブ・ディラン♪  という箇所が二年六組で問題になりました。 「ボブディラン、って何《なん》なんやろ?」 「さあ、きっと楽器の名前なんやわ」  これほど、田舎であり、幼い中学生生活でありました。  同じクラスの小谷くんは野球部でしたが、手を抜きながら野球しているような、そのくせ、部員全員から好かれているような人——であることを、日々の生活を通して知りました。  野球部員に限らず、男子生徒全員に小谷くんは好かれていたと思います。男子中学生がひきおこす「ありがちなイタズラ」には必ず参加していました。  成績はけっこう良かったはずですが、どこかボーッとしたところがあり、まあ、言ってみれば「憎めないタイプ」ということになるでしょうか。  でも、表面の明るい部分の奥に、屈折した心情が潜んでいる気配を感じ、そこに私はひかれていました。  ガロの歌が流行っていました。『ロマンス』。  ♪きーみ、忘れないでいて、若い愛の日を〜♪  ひかれたまま、一年間が過ぎ、次の学年で、小谷くんは二組、私は三組になってクラスが分かれました。  一学期の期末試験が近づいたある日の五時間目、二組も三組も自習になりました。自習中、野球部のキャプテンが私を呼び出しに来たので廊下に出ると、 「ちょっとここで待ってろ」  キャプテンは言い、二組の教室から小谷くんを引っ張って来て、自分はそのまま二組の教室に入り戸を締めてしまいました。 「どうしたん?」  私は小谷くんに聞きました。 「…………」  小谷くんは小さい声で何か言い、すぐに背を向け、教室に戻ろうとしました。が、二組内の野球部員が戸を押さえてしまっているのでどうしても戸が開かず、戸の上のほうについている窓からは二組の男子生徒が鈴|生《な》りに顔を出してピーピーと囃《はや》したてていて、小谷くんのうなじが赤くなっているのを見なかったら、たぶん私のほうが赤くなったと思うのですが、小谷くんの赤いうなじに対する感動のほうが大きく、恥ずかしいとか照れるとかいうことを忘れるほど驚きました。 「早《は》よ、渡さんかい」  キャプテンの声が戸の向こうでして、それから、パツと小谷くんは私のほうを振り返り、手紙をくれたのです。手紙の要旨は「前のクラスのときから好きでした」。  これがきっかけで、小谷くんとの交換ノート、みたいなことがはじまりました。田舎の中学生にとって、交換ノートこそ、カップルのゴールでした。  肉体関係は理科室へ行く渡り廊下で。げた箱で。水飲み場で。二組と三組がすれ違うとき、ほんの一瞬だけ目があう、そう、目があう、ただこれだけの、これのみの肉体関係。あれほどのエクスタシーは以後、今日にいたるまでありません。  日常生活をちゃんと共有したうえでのエクスタシーは共学ならではの良さだと思います。おーほっほっほ、ざまあみやがれ、別学の皆様、と言いたいです。  小谷くんは他県の遠い高校に行くことになってしまいましたが、誕生日にグラスをくれました。  ♪君の〜誕生日、お祝いにグラースをあげたよ♪  ガロが流行っていました。 ん 文庫版あとがき 「色気より食い気」「花より団子」という言い方があります。これと反対に「性欲と食欲は比例する」「セックスの強い人は食欲も旺盛」とも言われます。こちらには、私は賛成しかねます。食べるのが好きな人は、結局、食べるほうが好きなのだと思うのです。そう色気より食い気、なのです。  ラブ・アフェアのたえない人がいますけれども、観察していると、そういう人は、食べるのが嫌いです。もちろん、食べないわけではありません。彼らは食べてはいます。おいしいと評判の店に出向いたりもしています。けれど、なんと申しましょうか、食べ物に対してめらめらと燃えあがるほどの炎がありません。なぜなら彼らの炎はラブ・アフェアに向いているのですから。だからラブ・アフェアが続々と訪れるのですから。 「白いブリーフをはいている男は……」とか「赤坂プリンスは……」とか、蓮っ葉な口調で書いていると、なぜか人々は私のことをラブ・アフェアの機会の多い人間のように受け取ります。大まちがいです。食べるのが好きな者の炎はひたすらに食べ物に向くのです。  私だって時には炎をラブ・アフェアに向けたいと思います。なにも禁欲したくてしてるわけじゃない。炎を向けても相手の方がお断りになるので、それじゃあ、ってことで食べ物に向け、向けるからまた色恋から縁遠くなり、また食べ物に向く……という循環。この循環が長きにわたり骨にしみついてゆくわけです。  いいですね。好きな人といっぱいセックスできる人は。なんで私はしてもらえないの、くそ、くそ、くやしい、ええい、他人にだけイイ思いをさせてなるものか、という魂胆で禁欲をすすめているだけのことです。レッツ豪徳寺、もとい、レッツ尼寺。この本を買って、イイ思いを独占しているやつらに呪いをかけてやりましょう。 「そういうこと言ってるとブスになるよ。それよりがんばって原稿書くんだよ」  と、いつも励ましてくださる角川書店編集部の宍戸健司さん、今回も本当にありがとうございました。そして、この文庫本を買ってくださった皆さんに厚く御礼申し上げます。   一九九三年十月   本書は '91年11月、毎日新聞社より刊行された単行本「恋愛できない植物群」を改題し、文庫化したものです。 角川文庫『禁欲のススメ』平成 5 年10月25日初版発行             平成11年 2 月20日 9 版発行